4月4日、ようやく寒い寒い冬が終わった!という安堵感に覆われています。三寒四温とはいうものの、今年の3月は、19日のMLB東京シリーズ第2戦の朝カーテンを開けると、窓一面雪が降りしきっており、「お~っ!!」と日本人の私でさえ驚いたわけですが、来日していたドジャースの中南米出身の選手は、生まれて初めて見る雪を見て家族皆で狂喜乱舞したと言います。かと思うと翌週26・27日は25度を超える夏日で、朝冬物のセーターをとタイツを着用してゴルフ場に出た私は、午前9時には暑さに耐えられず、夏の半袖シャツと春物のスラックスに着替えました。隣のホールで半袖半ズボンでプレイしている男性の姿を見かけ、「もう夏?」と言ってしまいました。しかしまた翌週4月に入って極寒の日々が続き、北関東では雪が降る日まであり、さすがの私も夜泳ぎに出るのをやめ、ゴルフもキャンセルして、テレビでMLB観戦に籠っていました。この極端に寒暖差の大きい天候で体調を崩している人は数多く、かくいう私も珍しく、暖かい日に夜泳いで帰って暖房を切ったままうたた寝してしまい、風邪をひきました。熱は出なかったのでゼイゼイゴホゴホしながら泳いでいたところ、診療中呼吸が苦しくなったため、呼吸器内科を受診したところ、呼吸機能検査で肺年齢84歳と出て、気管支炎から喘息になっていると診断されました。顔にはアトピー様の紅斑が多数できて痒く、しばらく“運動禁止”の安静となりました。
~このこところ大谷翔平選手の事ばかり書いている私にそろそろ嫌気がさしている方もいらっしゃるかもしれませんが、すみません、またまた大谷君の話です~
実は私MLB東京シリーズの最後の抽選に当たって、東京ドームへ行ってきました!大谷・山本由伸・佐々木朗希の日本人侍トリオを含むドジャースの選手達がプレイする姿を生で見てきたのです。ありとあらゆるチケットの抽選に応募したのですが全敗で、「一体どういう人が当たるんだろうね~?」と友人間で言っていたところ、試合開始5日前の3月11日日本ドジャースファンクラブから「抽選で150名様にプレゼント」というメールが届き、速攻で申し込みました。転売サイトで30万円とか50万円している高額チケットに手を出そうかどうか迷っていたところで、何となく最後のチャンスで当たりそうな予感がしたため、転売サイトには手を出さず、当落発表を待つことにしました。3月13日喘息で苦しくゴルフをハーフで切り上げて帰路に着いたところ、車の中で携帯電話に新着メールがあることに気付いて開くと、「厳正なる抽選の結果当選されました」とありビックリ仰天!一人だったので、信じられず、興奮の余りコンビニに立ち寄って若い女性店員さんに聞いてもらうと、「本当に当たった人に初めて会ったわ!幸運を分けて下さい!」と一緒に狂喜乱舞してくれました。私は今年の運を全部使ってしまったのではないか?とちょっと怖い気分になりました。しかしながら以前から持っていたMLBのアカウントと2月に急遽発足して入ったドジャース日本ファンクラブのアカウントを同一にしていなかったため、MLBから電子チケットが上手く届かず、四苦八苦悪戦苦闘した末ギリギリ3月15日(土)の朝に届きました。翌16日(日)の阪神戦のチケットでした。席はホームベースと3塁側ダッグアウトの間の3階席で少し選手とは距離がありましたが、試合全体を観渡すには適した席でした。何せプレゼントなのでタダなのです。チケットは二人分あり、誰を誘おうか悩み、グループラインで誘いをかけても皆さん遠慮してなのか誰も手を上げず、結局ジムでいつも私と同じように黙々と筋トレをしている女性で、最近少し会話したところ私同様「ドジャース抽選全敗してるのよ~!」と嘆いていた名前も知らない人に声を掛けました。「名前も知らない私でいいの?」と言われましたが、「このチケット獲得への努力と熱量が一番大きい人だから」と答え、あらためて名前を告げ合いました。
当日、試合開始は正午のため朝8時過ぎに雨の中家を出て、9時過ぎには東京ドームに着きましたが、もう人がいっぱい!グッズショップは長蛇の列、試合観戦できない人も買いに来ているので、2試合で10万人以上来場していたでしょう。買い物は試合後にして、先にスタジアム内に入って選手達の練習風景を見ることにしました。高い所からでしたが、いつもテレビの画面越しに見ているアメリカ大陸にいるドジャースの選手ロハズ、キケ・ヘルナンデス、カーショー、ベッツ、パヘズらに交じって山本、佐々木などがグラウンドで練習している様を生で拝見させていただきました。しかし大谷選手はなかなかグランドに姿を見せず、ず~っと探して待っていたのに、試合開始直前に現れて5分間くらい外野をダッシュしただけでした。
試合前の様々な一連のセレモニーがあり、プレイボール直後いきなり阪神才木投手と大谷選手の対決から始まりました。ドジャースの攻撃の時は、ドーム中が静まり返って皆固唾を飲んで一球一球見守り、一振り一振りにため息や歓声が沸き起こりましたが、阪神の攻撃の時はライトスタンドに陣取った応援団の鳴り物の音が凄まじくて打球音も聞こえず、と対照的な日米の野球文化の違いを感じました。確か9年前NYのヤンキースタジアムではうるさい音がなくていいなあ、と静かに観戦していた覚えがあります。またドジャースの打球音が日本人のとは違ってカキーンと甲高く、特に大谷選手の打球音は格別に甲高いものでした。また打球速度が速すぎてどこに飛んだか目で追えず…。バットスイングもドジャースの選手たちは毎回フルスイングで空を切る音が聞こえ、空振りでもスタンドから「お~!」と歓声が上がるのでした。ホームランでなくても外野に飛んだ大きなフライは迫力があり、内野ゴロも鋭く強い音がして、それを上手く補給した野手が一塁へ投げる様を見て、3塁から1塁へ投げるって結構遠くて大変なんだなあ、と実感した次第です。テレビで野球を観るのと、同じ空気を共有する場で生で観るとは全く違い、小学生の頃叔父に連れられて行っていたナゴヤ球場で見た野球とも随分違い、凛とした空気を感じました。
結局大谷選手は2打席ノーヒットで、3打席目はチャンスの場面で回ってきたのに代打が送られそれ以降現れず、ドジャースはあくまでエキシビションマッチ(練習試合)のつもりのようでした。ドジャースは良いところなく阪神の勝利で終わり、試合後マウンドでの両軍の記念撮影に日本人3選手の姿は見られず、マグロの解体ショーディナーの準備に急いで行ってしまったのか?と少し残念な気持ちが残りました。まあタダだからしょうがないですが…、試合後グッズショップの長蛇の列に並び、数万円はたいてしまいました。皆さん2~3万円分は買っていたようで、この東京シリーズでMLBドジャースは100億円近く売り上げたのではないか、と思われました。大いなる日本市場の拡大ですね!
私は、昨年からの計画通り、来る6月中旬現地LAへ行ってドジャースの試合を観戦(4試合の内パドレス戦2試合)するべく既に2月にチケットを自分で取りました。生の空気感~選手と観客のあいだ~を直に感じ考察するためにも行って参ります。テレビに映らない席を取ったつもりでしたが、開幕してよくよくテレビ画面を観ていると、バックネット裏の左右の1段高い席のため、打つ前の打者の姿を斜めから映すカメラアングルだとテレビ画面の背景に入りそうで、まずいな~と思っています。今回買った大谷選手のタオルやうちわで顔を隠すしかないかな?と。
東京シリーズの合間を縫って、ドジャースの選手たちが東京観光としてスカイツリーへ登ったと聞き、近くに住んでいるのにまだ登ったことのない私は、ドジャースのグッズショップやパブリックビューイングも開かれていたスカイツリーへ行ってみよう!と、これまたまだ行ったことのない隅田川の桜を見に、さらに今年の大河ドラマ「べらぼう」の舞台になっている吉原の地を訪れてみたい、と4月4日午後一人で出かけました。浅草で電車を降りて、満開の桜堤から山谷堀公園の桜を見ながら北西へ歩いて吉原大門のあった場所及び見返り柳を見て戻り、隅田川にかかる桜橋を渡って墨田区側へと歩き続けました。すれ違う韓国か中国または東南アジアさらには中南米からと思われる外国人観光客の何と多いこと!桜の下では、日本語以外の言語が飛び交っており、着物を着付けてもらっている女性も多く見かました。しかし正統派の着付けを習った私から見ると、おはしょりや帯は滅茶苦茶で、襟には洋服のレースを付けたり、高い厚底クロックスに黒い靴下を履いたり、と首をひねらざるを得ませんでした。
吉原は、これまで正確な場所を知らずずっと気になっていたのですが、大河ドラマをきっかけに場所を知り、女性達の悲しみが詰まった所として一度行ってみたいと思っていたのです。吉原には、引手茶屋で座敷芸を披露する芸者もおり、歌舞伎や浮世絵にも影響を及ぼした伝統芸能の担い手であったとのこと、父方の祖母を育てた血の繋がりはない曾祖母が、実は東京から名古屋に来た人で、芸事に秀で芸者置屋を経営していたということからも、気にかかっていました。今日では、吉原遊郭から帰る客が名残惜しげに振り返る様子からその名がついたとされる「見返り柳」と吉原神社や弁財天及び、見返り柳から遊郭の唯一の入口であった大門へ進む不自然に曲がくねった道~それは吉原へ衣装を整えながら向かう客たちが表通りから見えないように曲げられたという衣紋坂~が残っているだけで、関東大震災と東京大空襲で壊滅して跡形もなくなっていました。
悲哀を感じながら、そのあと隅田公園からスカイツリーへ。隅田公園は、昭和20年3月10日の東京大空襲でおびただしい数の人々が焼かれたり溺れたりして亡くなり、無残な物体と化した無数の遺体がいくつも山積みにされていたという場所です。以前90歳近い患者さんが診察の度に「8歳の時、真夜中に空襲が始まって、逃げろ!と言われて父に手を取られて走り、後ろに幼い弟を背負った母がついてきていたはずなのに、近くに一発の爆弾が落ちて振り返ったらもう母と弟の姿はなかった。朝になって父がその場所(隅田公園)を確認しに行ったところ、真っ黒こげの人間の山で母と弟はもう見つけられなかった」と繰り返し嘆き泣きながら話すのを聞かされていたため、私の脳裏にはその時の想像上の惨状が焼きついていました。公園には満開の桜の下、多くの人がビニールシートを敷いて楽しそうに花見の宴会を開いていましたが、私はそんな惨状があった土の上に座ることなぞとてもできず、公園脇の水路の小道を心の中でそっと手を合わせながら歩きました。最後にようやくスカイツリーに到着し登ろうとしたのですが、予約制で本日は2時間半待ちと言われて断念し、道中昼食も一滴の水分も取っていなかったので、ご飯を食べて帰路に着きました。
ドジャースの選手達が東京シリーズの後、皆口を揃えて「東京は清潔で安全で親切なとても良い町、一生の思い出になる楽しい旅だった」と言っていたことはとても嬉しいのですが、その東京の下町には悲しい歴史が沢山あり、その悲しみの上に今の東京はあるんだな、と感じながら花見ウォーキングをした私です。
2025.4.6.