2024は一年を通して、殆どLAドジャース大谷翔平選手の話題が中心で過ごしてしまった感じです。ピッチャーができないため打者に専念しながら盗塁に磨きをかけ、あれよあれよという間に前人未到の50-50(54本塁打59盗塁)という偉業を達成してしまいました。8月23日レイズ戦での40―40達成時は、9回裏2死満塁で大谷選手に第5打席が回ってきて自身初のサヨナラ満塁ホームランを打つ、というまたしてもこの上なく漫画のような展開でした。私は喜びのあまり、その直後に出掛けたジムの駐車場のおじさんに「大谷君40-40達成したよ!」と声を掛けてしまいました。お互い見知らぬ仲なのに、「そうか、遂にやったかね~!」と声を上げて喜び合いました。9月19日のマーリンズ戦「6打席6安打3本塁打10打点2盗塁」で50-50達成(その日に51-51まで伸ばし)した瞬間は、「これは漫画でも映画でもあまりに非現実過ぎて読者が呆れてしまうような展開だから、漫画家・監督でさえ書かない筋書きだろう」と唖然ボー然としてしまい、ベンチ前で出迎えたT. ヘルナンデストと同じく「アハハ」と笑うしかありませんでした。ポストシーズンへでは数々の難関・死闘を乗り越えて、最後は左肩亜脱臼しながらあっけなくワールドシリーズを制覇して優勝、満票で3度目のMVPを始めに数々の賞を獲得したことは、今更私がここに書く必要はないでしょう。また彼の言動やメンタルに関しても色んな人が解説し書き尽くされているので、私が新たに書くことは残っていません。今シーズン前、打者DHだけでピッチャーをやらないとリズムが崩れてしまわないかなあ?と心配していた私の不安を、見事に吹き飛ばしてくれました。私は朝~午前にTV で試合を見て意気揚々としたり落胆したり、夜はNHK-BS1のワースポMLBを見直して寝ることが毎日の日課になっていました。今年の流行語大賞は、私の中では間違いなく断トツで「50-50」(正確には「54-59」)であり、今年を表す一文字の漢字は「翔」です! 来年投打二刀流が復活し、更なる活躍・飛翔が期待され、心は早くも日本での対カブス開幕戦のチケット獲得へ、そして、来年こそはLAドジャースタジアムへ観戦に行くぞ!と飛んでいます。
クリニックに来院する患者さん達にも大谷ファンは多く、その話題に花が咲き、毎日私同様大谷選手が打ったか打たないかで一喜一憂し、気分が左右されていました。特に高齢の方々は、大谷君が打つと元気いっぱいになり笑顔がはじけていました。私が処方する薬よりも大谷選手のホームランの方が効果があるようでした。それは日本中がそうだったようで、皆大谷選手を自分の子供や孫、近所に住む若者のように身近な存在と感じながら応援していたのではないでしょうか。日本だけでなく世界中の人を虜にしてしまう「大谷翔平」という一人の人間が持つ“人・コト・空気を突き動かし魅了する”目に見えないオーラというか“幸せ魔力”みたいなものは、いったい何なのでしょうか。まだ発見されていない分子か原子か素粒子があって、それによるのだろうか?と考えてしまう私です。
殆ど秋がないまま極寒の冬の到来で、すっかり今夏の猛暑を忘れてしまった今日この頃、
2019年12月頃から始まり(日本では2020年1月から)世界中に広まった新型コロナウイルス感染症COVID19は5年が経過してインフルエンザ並みになっていますが、振り返ると、世の中では在宅ワークやWEB会議・学会が今も良い形で残存し、100年に1回の疫病は人間界を大きく変革しました。精神医療の世界ではどうか?と考えると、まず一番に感じることは、「パニック障害が減った」ということです。つい最近「狭い空間がだめで電車に乗って出勤できない。」と訴える患者さんが来院して、「あれ、久々だ!」と驚きました。そういえば、コロナ禍の間パニック障害の患者さんが少なかった気がします。何故だろう?と考えてみると、以前にも書いたように、パニック障害というのは、解り易く言うと、「超ビビリの人の『無意識の自作自演病』、つまり具体的な対象がある不安ではなく、自分で未来先走りのマイナス自己暗示が生み出す自己誘発的交感神経興奮性の不安発作」なのです。しかしCOVID19というのは、目に見えない極微小ながら紛れもなく実在するウイルスが引き起こす、当初は死の危険を伴う感染症でした。そのため世界中の人間がそのウイルスに恐れ慄きました。漠然と対象のない自己世界内だけの不安というチンケなものはCOVID19の登場で吹っ飛ばされてしまったのです。手洗い・うがい・マスク及び密を避けて人との距離を遠く取ることに国民総強迫的となり、逆に以前書いたように不潔恐怖・強迫神経症の人達は「皆が私のレベルに降りてきた」と感じて生き易くなったといいます。様々なイベントや集団活動が世の中から姿を消し、人々が出かける機会が減り、人混みを避けるようになりました。在宅ワークが増えた分通勤電車に隙間ができ、満員電車で起こるパニック障害が減ったのだと考えます。心の病には流行廃(すた)りがあるのですが、COVID19の重症度が低くなった昨今、一時芸能人がカミングアウトしたりマスコミが重病のように取り上げたりしていたパニック障害のブームは去ったような感があります。次は何がブーム・流行になるのでしょうか?
私は相変わらず水の中で泳いではいますが、年代区分が上がる今年を限りにマスターズ競泳からは引退しようと年の初めに決めていました。コロナ禍の数年前から肉体的な限界を感じ始め、泳ぎの技術は進化したと思っていますが、大会に出るたびにタイムは落ちる一方でした。メインにしている400m個人メドレー(4個メ=バタフライ―背泳ぎ―平泳ぎ―クロールの順にそれぞれ100mづつ続けて泳ぐ)の自主練習はとても苦しく、一人で都内の50mプールへ行って、4個人メを何本も徐々に速いペースで泳ぐ練習や、さらに600m(各種150mづつ)や800m個人メドレー(各種200mづつ)の練習などをストイックに重ね、また大会直前は追い込み過ぎから極度の緊張状態になることを繰り返していました。これは寿命を縮めるのではないか、とまで感じ始めていたからです。しかしラストスイム2の10月末愛知県で開催された日本長距離マスターズで、レース前のアップ練習の時、いつもと違う側からスタート台の上に上がることを余儀なくされ、立ち上がった途端バランスを崩したため、一旦台から降りようと右脚を下ろした瞬間、床上の水にズルっと滑って左脚だけ台に残ったまま股裂け状態になってしまいました。左膝は過内旋し股関節と共に切れたか外れたような激痛で倒れ動けなくなりました。左足内側は飛び込み台のザラザラ面で挫傷しトマトの皮が何枚もくっついているように皮膚がむけ流血していました。(が膝股関節の方が痛過ぎて出血部分は全く痛みを感じず)今まで大会前に負傷(骨折・捻挫・肉離れなど)することは何度もありましたが、当日車椅子で運ばれるような怪我は初めてでした。「どうして…あんなに苦しい練習を重ねてきたのに…」とすぐには現実を受け入れられず、夢の中にいるような気分でした。医務室に運ばれて処置をしてもらい、膝と股関節の激痛が少し治まると、左足内側の傷が痛み始めましたが、周りの大会関係者達が「これではもう泳げないですね」と言う中、このまま泳ぐのを棄権して帰るのはやり切れず、一旦水に入ってみることにしました。が、まず最初壁を蹴る「けのび」が左脚だけできず、当然ターンや飛込も、また平泳ぎも右脚しか蹴られませんでした。どうしよう!?棄権するか?途中まで泳いでダメな時点で中止して失格になるか?…と悩んでいる間に招集がかかり、スタート係の女性に早くスタンバイするよう押されるままスタート台の上に登ってしまい、そのまま飛び込んでしまいました。ターンはそろーりと壁につけるだけで蹴らず、背泳ぎと平泳ぎでは左足はほとんど役に立たず、平泳ぎの時一掻き毎に「止めようか?…続けようか?…」と自己問答しながら、結局全4種目100mづつ泳いてしまいました。結果は当然最遅ながら予想よりはるかに速いタイムに驚きました。悩みながらゆるーりと泳いだのにアドレナリンが出ていたのでしょうか。しかしその日の夜、左膝・股関節がいうことを聞かなくなりトイレで立ち上がれなくなりました。翌日右足一本で車を飛ばして家に帰り、整形外科を受診、幸い靭帯は切れていませんでしたが、ひどい捻挫と炎症で腫れていたため、注射と電気の治療が始まりました。
その一ヶ月後の11月末、東京オリンピック会場だったアクアティックスセンターで開催される東京都マスターズまでに何とか再び400m個人メドレーを泳げるまでに軽快し、数年前より4秒早く泳げました。年齢に逆行してタイムが縮んだのは初めてで、100mづつ4種目全部全力ダッシュで泳ぎ切れたため、やり切った!という満足感がありました。その6日後の所属クラブの大会でも、200m個人メドレーを全力ダッシュで泳ぎ切れ、最近での最速タイムで年代別新記録を塗り替え有終の美を飾りました。そして予定通りマスターズ競泳に終止符を打ちました。これからは楽しく海やプールで泳ぐことにし、元来好きなゴルフを悠々と楽しんでいこうと思っています。
2024.12.22.