海水まみれの夏

 この夏はかなりの時間を海の上もしくは海の中で過ごしました。というのは、2011年の東日本大震災以降日本の海に入ることを控えていた私が、もう一度海を確認してみよう!と思うようになったのです。

 土曜日の診療後即成田空港へ向かい、4時間強のフライトでその日の内にはパラオに到着し、翌朝からダイビングショップ・デイドリームさんの龍馬号というクルーズ船に乗り込んで、洋上に停泊している船で寝泊まりしながら一日中ダイビングをしていました。パラオ共和国は、日本との時差はなく北緯8度に位置し、太平洋戦争中日本領だったこともあり、日本語が所々残っていたり、流暢な日本語を喋る人がいたりする親日国です。残っている日本語としては、以前行ったジープ島のあるトラック諸島と同じく、「ベンジョ」「チチバンド」「エモンカケ」などがありますが、一緒にダイビングしていた30代の日本人男女は「衣文掛け」が分からない!とのことで驚かされました。外来語の「ハンガー」が行き渡りすぎて、なくなりつつある古き良き日本語がパラオの地で生きているんだなあ、と不思議な気分になりました。また、「パラオには天気予報はない!」と最初に聞かされ???と思っていたのですが、海に出るとすぐにその意味が解りました。太陽と風と潮によって、水に覆われた地球は、水蒸気が上がって雲になり雨が降ることを繰り返している、そして天気は一日中変化するので、予測がたてられず、その意味もないのです。良く考えたら、その頃日本を襲っていた台風はパラオの辺りで発生することが多いものなのです。潜り終わって水面に出ると晴れていた空が雨になっていたり、強風で停泊している龍馬号がクルクルと回っていたりする日もありました。また二日目は満月に当たり、夜船の屋上に上がると、明かりはなく真っ暗なはずが、眩しいほどの月明りで360度空と海が照らされ薄明るく浮かび上がり、まるで私がその景色を独り占めしているようでした。電気など全く必要ありません。星ももちろんいっぱい明るく輝いていましたが、月の模様が日本で見るのと違ってくっきり鮮明で、ちゃんとウサギが臼を突いている姿に見え、日本の空がいかに濁っているか思い知らされました。早朝6時まだ日が昇る前からスピードボートでダイビングポイントまで行って潜るearly morning diving、一旦龍馬号へ戻って朝食後またボートで午前2本、龍馬号で昼食を取って午後ポイントを変えてもう1本、夕食後7時半から9時過ぎまで、真っ暗な海でnight diving(mid nightもある)と1日最高5本(31%のネンリッチド・エアータンクを使用したため普通の酸素ボンベより長く沢山潜れるのです)と、{海に潜る―食べる―寝る}だけの生活でした。もちろん洋上なので、電波は届かずWi-Fiもなく、テレビ・携帯電話・メール・インターネットはできず、初めは残してきた娘のことが気がかりで落ち着きませんでしたが、しかし諦めると却ってその方が俗世から切り離され落ち着いてきました。いかに俗世は情報に翻弄されているかがよくわかりました。龍馬号では、そこにいる数人の人間としか交流がなく、海の中では海の生き物と水を介した非言語的コミュニケーションを試みるしかありません。最終日の早朝ダイブでは、なんと待ちに待ったジャイアントマンタの朝ご飯に遭遇し、1時間近く私たちの周りを回遊してくれました。時に私に近づいてきてくれたように感じ、その優雅な姿に感動しながら昼には岐路につきました。

撮影:森本茂夫氏

 翌早朝4時にパラオを飛び立ち、9時には成田へ到着、昼前に自宅に帰ると、すぐにまたパッキングをし直して御蔵島(東京都)でイルカとモノフィンダイビングをするために夜竹芝へ向かいました。午後10時半出航して、板の和室で雑魚寝しながら(もちろん寝心地は最悪!)三宅島経由で朝6時に御蔵島へ到着、8時半から小舟で島周辺に住んでいる野生のイルカに会いに出かけました。御蔵の海はタヒチと違って黒く荒々しく、海の中には珊瑚はなく大きな丸い石がゴロゴロ並び、海水はパラオに比べて格段に塩辛く口に入ると大変でした。私は初めてモノフィンで海に入ったのですが、黒潮の流れが速く船は大きく揺れ、フィンの脱ぎ履きに手間取り、船の中で何度もひっくり返りました。島一周約2時間に最多で8回までイルカを見かけると皆一斉に海にダイブすることを繰り返すのですが、時にはイルカに逃げられてしまうこともあり、海の透明度が悪くイルカが良く見えないこともあります。イルカを見かけると、ジャックナイフで海底7~8mまで一気に素潜りし、群れの中に入っていきます。呼吸が続く限りイルカと戯れようとするのですが、なかなかタイミングが合わず、更にビデオを撮ろうとすると体力の消耗が激しく、1本潜って次に潜るまでエネルギー回復に結構時間を要するのでした。しかし1回目にかなりの数のイルカたちと遭遇し、途中で1匹のイルカが私の所へUターンしてきてくれ、「一緒に遊ぼ?」と言っているかのように体を私の目の前に寄せてつぶらな目で視線を合わせて誘いました。水は空気より感情を伝えやすいということですが、確かにそのイルカの心は私に伝わりました。私も「よ~し、行こう!」と答えて一緒に海中をぐるぐるモノフィンで天に地に右に左に乱舞した挙句、サーッと踊りに飽きたのかイルカは去っていきました。ビーフィン(二枚の足ひれ)よりモノフィン(二本の足を揃えて履く一枚板の足ひれ)の方がはるかに速く泳げイルカについていけましたが、私の息はイルカほど続きません。海上に上がり、一回呼吸をし直してまたジャックナイフで潜りましたが、群れは遠くに見え、モノフィンでも追いつけませんでした。船に上がった途端、船酔い波酔いイルカ酔いで激しい吐き気に襲われ、私同様イルカに弄ばれた人間でいっぱいの船になっていました。御蔵島のイルカにはID名前が付けられており、子供や孫の確認も取れて系統図もあります。イルカはビーフィンよりモノフィンに興味があるようで、それを履いた人間を一人ひとり確認して回っているようでした。1日2周船で回り、最終日の朝は6時から潜って再び船での岐路についたのですが、結局イルカに翻弄されてロクなビデオは撮れずに終わりました。

 1週間ほとんど海水浸しの夏休みを終え、今夏の締めくくりとして8月31日逗子湾でのオープンウォター2.5kmビーフィン部門に初チャレンジすることにしました。その前3回湘南へ海泳ぎの練習に行きましたが、波のうねりと水の量、潮の辛さはプールとは全く違い、前方確認しつつ泳ぎも変えなければならず、かなり勝手が違いそうだ、と感じていました。午前9時5分海水温22℃曇り空の中フィンを履いて一斉に海中スタートしました。クラゲと寒さ予防にラッシュガードを着ていたので、泳ぎ始めると快適な水温に感じ、透明度も良く波も穏やかで絶好のコンディションでした。しかし満潮が8時半と聞いたので、1.25km先のブイからの折り返しの方が大変なのではないかと予想して、行きはゆっくり波に乗りながら抑え目に泳ぎました。それでも時々顔を上げて前方の目印を確認すると、在らぬ方を向いていて慌てました。左右に蛇行しながら何とか折り返しのブイまで泳ぎ着き、Uターンすると一気に波が変わり、泳いで体を進めることがきつくなりました。引き潮に逆らって泳がなくてはなりません。また湾の外海近くなのか左右から寄せて返す波に両方向から大きく飲まれ、体は大きくもんどり打ちます。顔を上げても目標物は見当たらず、ブイも波で見えません。自分が一体どちらの方向を向いているのかわからず、ただ右に左にコースを大きく外れていることはライフセーバーの誘導で予想できたのですが、どこが正しいまっすぐなコースか、どう修正してよいかの分からなくなり、周りに同泳者は見当たらず、大海原に自分一人ビリで置いてきぼりか迷子になっているような心細さに襲われます。ゴールから左右に90度はぶれてジグザグに泳いでいたと思われます。ここで慌てて不安になると恐怖心からパニック状態に陥ってしまうと思い、ひたすら冷静に「人影と船に向かって泳げばいつか活路が見いだせる!」と自分を落ち着かせ、時々立ち泳ぎもしました。ようやく女性ライフセーバーに「ゴールはどこですか?」と聞いて目印を教えてもらい、湾内に入って横波もなくなったので、最後500mは落ち着いてまっすぐ泳げました。海底の砂模様が見えてきた時は、「やったー!到着だ!」と安堵しました。ちょうど50分でゴールした時は、潮で口は辛く乾き、疲労で酷い顔だったはずです。給水を取る余裕もありませんでした。トータルで2.7㎞は泳いだでしょう!結果は女性の部で全年齢中6位でした。ゴールしてみると、やはり疲労や波酔い、低体温症、パニック状態でリタイアした人が結構いたようです。とにかくタイムや順位より初挑戦で完泳できたことに万歳!です。いつも日本の海水浴場ではブイより遠くへ泳いで行けないので、大手を振ってそれより先に泳いで行ける!との思いから参加した海の大会でしたが、やはり外洋では安易に泳がない方が良いということを学びました。
PS.) しかし日本の海は外国より潮辛い!です。
2014年9月

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