2022サッカーワールドカップ カタール大会

 11月20日から12月18日まで中東初開催となるサッカーW杯がカタールの地で開催され、メッシ率いるアルゼンチンがフランスとの劇的な決勝戦をPK戦の末勝ち3度目の優勝を成し遂げた。日本チームも予選リーグで、強豪ドイツ・スペインを破り1位で決勝リーグへ進む目覚ましい活躍で、日本中が熱狂した。
 私は、今ハマっているBTSの一押しジョングクが開会式で歌とダンスを披露するとのことで、初っ端から試合そっちのけで熱を入れていた。
 以前2014年ブラジル大会のことを書いたエッセイにもあるように、1978年大会でマリオ・ケンペスに魅了されて以来45年間アルゼンチンファンの私は、’78年、‘86年と2回の優勝場面をon time TVで見て以来バティストゥータ、オルテガ、アイマールなどのスター選手及び2010年以降マラドーナに次ぐ神の子メッシを擁しながら36年間優勝から遠ざかっているアルゼンチンに何とか勝ち進んでほしい!と願っていたが、予選の初戦サウジアラビアにまさかの負けを喫し、またダメかなあ?との想いがよぎった。一時はマラドーナが監督になり、そのマラドーナが2020年に亡くなり、いつしかスペインやフランスが強くなっていた。日本サッカーも海外でプレーする若者が増え、ブラジル大会の時危惧していたメンタル面はかなり強固になっていた。まさかあの1990年イタリア大会、2014年ブラジル大会でアルゼンチンに勝って優勝したドイツに勝つなんて!そんな日が来るとは夢にも思っていなかった。そしてスペインにまで…。しかも逆転で後半2点も取るなんて!技術もだが、完全にメンタルが強くなったことが勝因だろう。しかしコスタリカ戦は少し気が抜けた一瞬を突かれたようだ。私はバックパスにイライラし、緩いクリアミスに檄を飛ばしていた。三苫薫選手と田中碧選手が我が家近くの鷺沼兄弟として一躍有名になったが、実はコスタリカ戦に右SBで先発出場した山根視来(みき)選手は、我が娘の中学時代の同級生クラスメイトで隣の席の子だったのだ。当時娘はクラスにベルディ―のユースに入っている男子がいる、と言っていたが、それが山根君だった。第2戦ではなかなか渋いプレーをしていた。あざみ野中学校に山根君の横断幕が張られていなかったことを娘は「薄情だな」と呟いた。三苫選手は、川崎フロンターレに入団直後の試合をTVで見て、左SBを駆け上がってドリブルで鋭く切り込みえぐる凄い選手が出てきた!と、一目で最近のJリーグの中で唯一ファンになった選手である。
 次のスペイン戦は、実は私は日本チームの熱狂的なファンではなかったが、初めてW杯で日本チームの試合を見なかった、というより怖くて見られなかった。ドイツ、コスタリカ戦を見てハラハラドキドキが続き心臓に悪い!と寝ることにした。起きてテレビを付けたら、夢のように「日本が勝った!」となっていればいいや、と「自分が見ると負ける」というジンクスを言い訳にして。しかしどうやらこれは齢のせいのようだ。まるで我が子がボクシングの試合で殴られるのを見ていられない母親のような気持ちで、90分間続く高い緊張感は心臓に悪い、寿命が縮む!と逃げたのだ。若い時はとにかくずっとサッカーの試合を熱狂して見続けていた、しかしもうそれはできない年齢になったことを痛感した。渋谷のスポーツバーで皆と熱狂して観たり、試合会場へ行って楽器片手に大声で応援したりするのは若さ故のことなのだ。90歳近い父などは、Jリーグが始まった時でさえ「このスポーツは息がつけんなあ、トイレにも立てん!」と言っていたものだ。しかし決勝リーグになると、ここからが面白い!とばかりに全試合を観た。午前0時と4時から続けて2日間観るのはとにかく大変だった。特に0時の試合が二日続けて延長PKになったものだから、間1時間しか仮眠が取れず、翌日は逆説的超覚醒状態で診療に当たった。
 大会前私は、アルゼンチンに優勝して欲しかったが、実は内心優勝候補に挙げていたのはクロアチアだった。前回準優勝ながらMVPを取ったルカ・モドリッチを中心にしぶといサッカーをするチームで、それまでもユーゴスラビア時代からストイコビッチ、オシム監督などからも分かるように、常に走り続けて気を抜かず一瞬を見逃さず閃光のようにゴールする地味だが粘り強い印象の強いクロアチアが不気味だった。そのクロアチアと決勝トーナメントの最初に当たった日本、まずいな~と思っていた。日本は良く戦った、良い試合だった、しかし延長の末PK1-3で敗れたのは、メンタル的底力というか国民力の差なのではないか。「ウクライナ」の章で書いたように、1991年ハンガリーに滞在中中学生に「あの山の向こうでは戦争が起こっているんだよ!」と言われたその戦争が当時のユーゴスラビアの内紛で、その時祖父を殺され難民となってもサッカーをし続けていた当時6歳の少年モドリッチが山の向こうにいたのだ。その命の際を生き抜いてサッカーを続け、国民的英雄となっている。人間力というか、国民力というか、最後のPKは運ではなく、歴史に裏打ちされた決死の勝利への意欲の差が出るのだろう。クロアチアのキーパーが凄かったともいえるが。アルゼンチンとフランスの決勝PKもその差が出たのだと思う。
 スポーツに政治を持ち込まないのが原則だが、サッカーの場合頻繁に政治が絡む。それは、国と国が武器を使う戦争の代わりに、サッカーボール一個で国を背負った男同士が戦いをするのだから、微妙な感情と歴史性が交錯するのはやむを得ないだろう。マラドーナがアルゼンチンの英雄となったのも、1986年準決勝であの神の手と5人抜きでイングランドに勝ったことが、アルゼンチン国民にはフォークランド戦争でイギリスに多くの青年を殺戮された報復のように映ったからである。
 その後クロアチアは優勝候補のブラジルにもPKの末勝ち、4強に進みアルゼンチンと戦った。本当はアルゼンチンとクロアチアで決勝を戦って欲しかった。私はメッシの次に好きなのがモドリッチなのだ、メッシと同じくらいサッカーテクニックは巧いし人柄からも。しかしこの辺りからアルゼンチンは優勝モードに入ってきているように感じた。モドリッチは風貌が往年のオランダ代表ヨハン・クライフに似ているとして“バルカンのクライフ”と言われているが、試合を重ねる毎に常に変幻自在に走り続けていた運動量のせいか、ハリー・ポッターに出てくるドビーに見えてきた。クロアチアは疲労もあったと思われるが、やはりメッシが一枚上手だった。
 決勝は、45年間サッカーを見てきたが全く見たことのない最高に素晴らしいmiracle,amazingな試合になった。漫画のような漫画以上の漫画家さえ思い付かないような展開で、延長後半私は一人で「これ本当なの?映画じゃないの?」と叫んでいた。アルゼンチンの2点目は、これぞ私が大好きなアルゼンチンサッカー!という点の取り方だった。ブラジルのようにカナリアがさえずるような華麗なパス回しではなく、ドイツやイングランドのような長めの強いキックの炸裂ではなく、短く強めのパスでカウンター的に進んで最後にズドン!と蹴り込むゴール、これが45年前に魅了されたアルゼンチンサッカーの真骨頂なのだ。久しぶりのディ・マリアも切れ味鋭いドリブルで良かった。PKになればアルゼンチンの勝ちだろうと思っていた。最後に残った選手を見ると、疲労度とキーパーとの駆け引きや小技の差が感じられた。そしてアルゼンチンの方がどうしても今勝ちたいという気持ちが強かったのだ。かくして念願のW杯トロフィーをメッシが高々と掲げ上る姿を見届けるまで起きていて興奮醒めずAM5時まで寝られなかった。感動的な絵に描いたような幸せなフィナーレで、もうサッカーを見納めにしても良いくらい満喫した。メッシは本当に心から安堵したことだろう。一時W杯で勝てないことから母国民の酷いバッシングを受けて、ピッチ上で吐いている悲痛な姿があった。しかし今はもうサッカー選手としても人柄からもマラドーナを超えたと思う。まさに神の子が神になった…そして年末の12月29日王様ペレが亡くなった。
 かたやフランスのエムバペは、ハットトリックを達成し得点王も取りながら、負けて長い時間顔を覆い肩を落としていた。しかしまだ若い!この悔しさからこの後どれ程強くなるのか末恐ろしい限りである。日本の若い選手達も、今回の悔しさから一段と強くなるだろう。またいつの日か、ウクライナのサッカー選手が今の惨事を乗り越えて、メンタル強くモドリッチの如くW杯で飛躍する時が来るのではないか、と内心期待している。
 しかし1か月に及ぶ熱狂のW杯が終わってすぐクリスマスとは?いつもは夏真っ盛りなのに、余韻に浸る間もなく新年を向ける準備に入る私だった。
 これが出る頃はもう2023年だろう。 Happy new year !
 そして今年こそ、COVID-19が終息し、ウクライナから戦禍が無くなりますように!

PS.)4年後、北米大会観戦に行こう!

2022.12.31.

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