8月26日ようやく日本中猛暑地0の日になりました。
今年の夏はとにかく暑かった、日本もこんなに暑くなるものなんだ、と誰もが思ったのではないでしょうか。私は岐阜県多治見市で生まれ育ちました。先日四万十市に抜かれるまで、熊谷市と共に2007年に40.9℃を記録した日本一暑い所でした。昔は、冬は確かにどっと雪が降ることがあり、よく雪掻きはしたし、降り積もった雪の道を朝登校中山肌の下り坂で滑って崖から落ちたこともありましたが、猛暑の記憶はありません。
町の真ん中を流れる土岐川が作った三段のV 字谷の盆地で山に囲まれ緑が多かったのですが、陶磁器が主産業だったため山を削って陶土を掘り、その広大な跡地に名古屋のベットタウンとして住宅街が広がりました。その山の位置からのエアコンの熱風が谷底の盆地に流れ下り、木々が減って潤いを失った大気の温度をさらに押し上げることになって、気温40℃を超す日本有数の暑い地となってしまったのです。
この夏帰省した折、広いアスファルトの駐車場で、私のサンダルの甲の部分のエナメルが熱で溶けて壊れ、Mダックスの愛犬モエムを少し歩かせたら即刻熱中症になって意識朦朧となり、車に乗ったら外気温は43.5℃を示しました。その日の多治見市の最高気温は39℃近くでした。しかし年老いた両親は熱帯夜でもいつも体に悪いから、とエアコンを消して寝るのです。今年関東では夜もエアコンを消せなかったと思いますが、長年厳しい環境で生活している人たちは我慢強いものです。
自宅に帰ると、帰省前夜激しい落雷があった我が家のパソコン3台が動かなくなっていました。落雷の光とものすごい金属音の雷鳴と同時に停電した1発はどうやら裏の家の室外機に落ちたものだったようで、その誘導雷が我が家のルーターに入って壊れていました。4日間四苦八苦してようやく3台のパソコンは再起動しましたが、裏の家のエアコンは修理に2週間以上かかり、猛暑と熱帯夜の中戦前の生活を強いられたようです。貴重な体験をされて、さぞかし心身は鍛えられたことでしょう。
半面タヒチからの便りによると、今年のタヒチの夏はとても涼しく過ごしやすくて、まるで避暑地のようだったとのことです。また日本でも「沖縄へ避暑に行こうか?」という声が上がるように、本州より沖縄の方がいつも気温が低く、異常な気象でした。しかしここ最近『異常気象』という言葉は毎年発せられているような気がします。地球上のどこの何が正常で何が異常なのかわからない程、年々地球環境は変化してきているのではないでしょうか?40・50年前から気候がこんなに変わってきてしまっているということは、来年も再来年も夏は今年のように暑くなってそれが普通になってしまうかもしれません。原因として海水温の上昇や、偏西風の吹き方の変化があるなどと言われていますが、前にも書いたように、文明の進歩と言いながら、人間が自分たちの都合の良いように開発し地球に傷をつけてきた功罪として、地球が人間に天罰を下しているような気がしてなりません。
連日の激しい雷、それが最新の電化製品に落ちて破壊されたのは、まさに「我が天敵め!」と言わんがばかりで自然・地球の怒りのように感じました。政府の経済対策やエネルギー政策が声高に叫ばれていますが、人間優先で自国の目先の利益ばかりを追求していては、長い目で見て将来、日本だけでなく地球自体が自然からの逆襲により異常だらけになって崩壊してしまわないだろうかと心配になります。今年はその手始めかもしれない、と思いながらも、ここ数日の爽やかな暑さに秋は来てくれそうだ、とほっとする2013年夏の終わりでした。
2013年9月