ウクライナ

 今年2月世界中でまだCOVID—19の治まらない中、北京冬季オリンピックが終わって4日後の24日突然ロシアがウクライナへ軍事侵攻した。現代の日本人には映画やアニメの中の物としか思えなかった戦争が現実に始まったのだ。皆口々に「21世紀の現代においてこんな戦争が起こるなんて!」と言った。しかし以前から私は患者さんや周囲に「北朝鮮からテポドンが飛んでくるかも知れないよ」「中国が海から戦争を仕掛けてくるかも」「第三次世界大戦があるかもね」「飢饉や飢餓が起こり食べ物に困る世の中になるかも」~『未来は予測不能に変わる』と真剣に言っていたが、皆「まさか今時そんなことがあるわけないでしょ」と鼻先で笑い、時代錯誤な変人とあしらわれた。そのため、侵攻直後から「先生の言っていた通りのことが起こった!」と恐怖を混じえて真顔で言う人が増えた。

 そうなのです、以前にも書いたように、流行り病や戦争といった地球規模の大惨事は、歴史を振り返ると100年に1回位は起こっているのだから、人生100年時代に入れば一生に一度は体験することになる。たまたまこの76年間日本では戦争がなく平和だったが、世界では、ベトナム戦争や湾岸戦争、シリアの内戦などが起こっていた。前章で書いたように、男性という雄♂は元来戦いが好きな動物で、小さい頃からチャンバラや戦争ごっこが好きで格闘技に燃える。ままごとやお人形さんごっこが好きな女性♀雌と違い、他者を力で圧倒して優位に立とうとする闘争本能が強い。前の章のジェンダー問題で論じたように、ここ戦争という事態において、ウクライナの18~60歳の男性は国外に出ることを禁じられて戦い、女性は子供や高齢者を連れて国外へ避難する、という性差がはっきりした。ウクライナ国内に留まって戦う女性戦士も少数いるが、戦いにおいて圧倒的に力を発揮するのは男性である。男女の性差は歴然とあり、適材適所で役割分担すべきである。決して男女は同等・同質ではなく、それを叫んでいられるのは平和な世においてだけであろう。

≪ 欲望の階層理論  Maslow.A.H. 1951 ≫
5.自己実現の欲求―大切なのは“自分の満足”

4.誇りと褒められる欲求

3.愛と所属の欲求

2.安全と安定の欲求

1.生きるための生理的欲求―食・住・衣服・睡眠・性など

 上記の欲望のヒエラルキ-理論によると、当の独裁者は最も高い第5段階におり、自己満足のために無辜のウクライナ市民を、欲望の最も低い第1段階の「生死の恐怖」まで貶(おとし)めているのだ。他の人間を自分と同じ人間と感じず欲の権化と化すのは、他者への共感能力の乏しいアスペルガー症候群(裸の王様もそうかも)に近い人格・DNAだろうか。ユーラシア大陸の北~中央部辺りには、こうした同じ人間を殺しても何とも感じず、自己利益の為に平気で噓をつき、するとそれは真実となり、逆に騙(だま)される方が愚かだと言い、約束は約されず平気で破る人種のDNAが脈々と受け継がれているように思える。そんな暴挙が許されてはならない。

 ロシアのウクライナへの軍事侵攻により、32年振りに欧州への飛行機がアンカレッジ経由(JAL)と南回り(ANA)になったと聞き、そういえば私の最初の海外旅行は、行きが南回りで、帰りはアンカレッジ経由だったことを思い出した。それは1989年アテネでの世界精神医学会出席兼欧州旅行だったが、当時はまだ冷戦の最中(さなか)でソ連の上空を飛べず、成田→香港→ジャカルタ→アブダビ→カイロ→アテネと飛行機の各駅停車で23時間かかったのだ。深夜アブダビ空港で数時間トランジットした際空港のトイレに入ったのだが、入り口に本物の大きな機関銃を脇に携えた警備の兵士が銅像のように立っており、恐る恐る入ったブースの扉は厚さ5㎝以上のジュラルミン製で上下がかなり開いていて戸惑った。入っていると数人の女性の声がした、扉を空けて出ると、皆頭と顔の下半分を黒い布で覆い隠している様に驚き、息が止まりそうになった。これが異国というものか、いきなりパンチを食らった気分だった。23時間かかってアテネの空港に到着し、浮腫んだ足を靴に入れるのに四苦八苦しながら、皆疲れ果ててタラップを降りると、仲間の先生が「まるで北京ダック製造機だな、食っちゃ寝食っちゃ寝の末…」と仰ったことがとても印象に残っている。帰りは確かアンカレッジでトランジットして、テレビで話題にされていたうどん屋さんは記憶にないが、とても寒い暗い所でビーフジャーキーを買って帰った覚えがある。その2ヶ月後東西ドイツを隔てていたベルリンの壁が崩壊し、ドイツは統一された。飛行機の欧州便はロシア上空を直行便で飛べるようになり、南回りやアンカレッジ経由はなくなったのである。

 次の海外旅行は、1991年8月当時東欧で初めて民主主義国家となったハンガリーのブタペストでの世界精神医学会に出席した時である。出発時(8/20)ちょうどソ連のゴルバチョフ大統領が保守派グループの反改革派によりクリミアの別送に軟禁されたソ連8月クーデターが起こったところだった。行きの飛行機が当時のレニングラード(今のサンクトペテルブルク)上空を飛んでいた時、ルフトハンザ航空の機内でドイツ語の「たった今ソ連のクーデターが終わりました」というアナウンスがあり、乗客が一斉に拍手喝采して喜びを爆発させた。詳細が分からないままフランクフルトのホテルに到着してすぐテレビをつけると、ゴルバチョフが黒海沿岸で解放された姿が目に飛び込んできた。「ゴルバチョフは生きていた」と驚いたものだ。

 その後ブタペストへ移動して学会を終え、観光としてブダ地区の丘の上に登り、王宮やマチャーシュ教会の前の広場で、手作りの皮の鞄を見ていると、その店の女性達は皆マジャール語しか話せないようで、代わりのその息子らしい13歳の少年に英語で話しかけられた。「貴方はゴルバチョフとエリツィンのどちらが好きだ?」と。その頃まだソ連の政情をよく知らなかった私は答えに迷い「…ゴルバチョフかな…」と答えると、少年は顔をまっすぐ見据えて「僕はエリツィンだ!」声高に言った。そして南の山の方を指さして「あの山の向こう(ユーゴスラビア)では今実際に戦争が起こって毎日煙が上がっているんだよ!」と、当時ユーゴの内戦が起こっておりその危機感から政治的熱弁を振るう姿に圧倒されて、私は鞄を買うのを止めてしまった。今思えば危機感の乏しい日本人の代表のようで恥ずかしく、賢く意志の強いハンガリーの少年(現在44歳)に、今のウクライナ国民の強固な精神が重なった。西と東、民主主義と共産主義の境界に陸続きで生きる人々の鬼気迫る精神は島国日本の民族とは全く違うものである。

 またペスト地区の郊外へバスで1時間ほど東へ移動して広大な蚤の市へ行った。移動中東欧の荒涼とした原野を眺めながら、もう少し東に行くとソ連があるんだなあ、と考えていたが、それは今難民が逃れてきているウクライナとの国境だったのだ。蚤の市には家具やアンティークに交じって今まで見たことがないソ連製の品物(軍服や水筒まで)がいっぱい陳列されていた。ブタペスト市内にはソ連製の車トラバントが真っ黒な排ガスを吐きながらかなり煩いエンジン音を立てて走っており、建物の外壁はその煤(すす)でみな真っ黒になっていた。またその南東には、当時チャウシェスク大統領の独裁政治に苦しんでいた体操の元金メダリストのナディア・コマネチが、荒野を駆け鉄条網を潜り抜けて亡命したルーマニアとの国境があった。

 ブタペストを離れウィーンまでドナウ川を下って移動すべく乗船したところ、異様に多くの日本人ツアー客と一緒になった。聞くと、モスクワ滞在中にクーデターが勃発し、ずっと日本領事館に身を潜め、赤の広場で多くの戦車が行き交う光景を目にしながら過ごし、命からがら何とかハンガリーまで逃げてきたところだとのこと。「食べる?」と言われて開かれたスーツケースの両面にはカップヌードルがびっしり詰め込まれていた。これで食い繋いでいたということだった。その4ヶ月後の12月ソビエト連邦は崩壊した。東欧という異文化に初めて触れ、ロシアを強く実感した旅だった。私は幾度か世界の歴史的転換点に遭遇していたようだ。

image001 近年私はウクライナと少し縁があり、身近に意識しつつある国になっていた。数年前フィンスイミングの練習と競技をしていた。モノフィンといって人魚のように両脚を揃えて大きな扇型の足ヒレに入れて水中無呼吸や水面をシュノーケルをつけて泳ぐモノフィン、片脚ずつ長い足ヒレをつけてバタ足で泳ぐビーフィンがあるのだが、その競技用の両フィンは、私の足型に合わせて型取りし、硬さやデザイン・色の配色まで私の好みで指定して、フィンスイミングが盛んな国であるウクライナに特注して作ってもらった。3ヶ月程で私オンリーの完成品が船便で送られてきたが、よく解らない文字で送りが書いてあった。ウクライナ製のロケットフィンというものなのだが、それがウクライナのどこで作られたのか今となっては分からない、が確実に私のフィンを作ってくれた人がウクライナにいる、その人は今無事に生きているのだろうか?工場は破壊されていないだろうか?と、毎日気が気でならない。

 またオリンピック2大会で競泳1500m男子の銀メダリストとなったウクライナのミハイロ・ロマンチュク選手、リオオリンピックでその美しい泳ぎを見て一目惚れし、東京でも応援していた選手である。長距離をその無駄のない流れるようなフォームで淡々と泳ぎ抜き、最後デッドヒートの末2位になったロマンチュク選手のフォームを一時真似して練習していた私は、ロシアによるウクライナ侵攻が始まって真っ先に同選手の安否を心配した。兵士として戦っているのだろうか、無事なのだろうか、再びあの美しい泳ぎを見ることはできるのだろうか、と私の心はずっとズーンと重いままである。

 ここ最近クリニックには「楽しいことが何もない」「将来の事を考えられない」「暗いニュースばかりでテレビも見たくない」と不安・憂鬱を訴える人が多くなった。新型コロナがまだ一向に治まらない中、ウクライナのニュース、更には最近頻発している地震といった人類の三重苦『災害・疫病・戦争』がいっぺんに来た今、気分が晴れないのは皆同じだろう。「ウクライナの人々に比べれば大したことないですけど…」と言うが、自殺を含めて病死老衰という自然死が増えているのも、人間の生のエネルギーが低くなっているせいだろう。いや、むしろ昨今幸福で平和ボケした危機感の乏しい時代が続き過ぎたのではないか、「この21世紀にこんなことが起こるなんて…」という言葉の通り。しかしウイルスや細菌は変異や菌交代現象を繰り返して現れ、時に権力欲の強い男性が表れて戦争を起こし、地球は暴挙を続ける人間に対する怒りから警鐘を鳴らすのである。その果てに核が使われるとまた暗黒時代がやって来るのだろうか。ウクライナの人達の終わりの見えない心境は想像を絶するものだろうが、幾分か私達にも共感される。私は当初即刻義勇兵に加わりたいと思ったが、現実には寄付くらいしかできず、専門域の「心のケア」なぞ実体験していない平和な国の医療者が軽々しく対応できるようなレベルではなかろう。

 日本はGWが間近に迫っているが、私の予定は白紙である。同じ地球上の8200㎞離れた場所で、毎日夥しい数の無辜の人々が殺されているというのに、享楽的にはなれないのだ。いつも私は世界で悲惨な事が起こると旅行やダイビングはキャンセルする。

 ここで私ははっと思いついた。「徳川慶喜は、賢い優れた人物だったのではないか」と。幕末ペリーの黒船が到来して、徳川幕府・武士の世はもう終わり時代は変わる、との先見の明から、鎖国を解き異国の文明を取り入れて新しい世を切り開くべく、大政奉還し江戸城の無血開城を、蟄居生活に入り何も語らなかったのだ。そして日本は明治から現代へと進化してきた。時・歴史は過去には戻らず新しい未来へ向かうものである、徳川慶喜はその真理を賢知していた、が現代の露の独裁者はそれを知らず、過去の大国ソビエト連邦を復活させる独我夢実現に妄執して罪なき同胞隣人を動物以下の如く殺戮し続けている。彼は、精神病を発病しているわけではないだろう。また疑われているパーキンソン病の人の性格は真面目で硬く大人しいため、振えだけでそうとはとても思えない。基底に重症のパーソナリティーの問題がありそうで偏執妄想狂的な印象は受けるが、直接対面したことがないので断言は控えたい。今では、第二次世界大戦時のドイツ・ナチスのヒトラーより凄惨だという声が大きくなっている。

 1999年以降の世界学会で、ロシアの精神科医の発表を聞いた折、私はその拙い英語や発表内容から、「これが大国ロシア? 今時まだこんなレベルの研究をしている国なのか…」と訝しく思った覚えがある。学問的には世界のその他の国々(フィンランド、スウェーデンやインドの方が高いレベル)よりかなり遅れていると感じられた。やはり閉ざされた国なのだろうか?と。その印象は当たっていたと今回確信した。

 しかし日本にも露の脅威は現実味を帯びてきた。露艦隊が津軽海峡を通り、ICBMが西部から極東のカムチャツカまで飛ばされ、北朝鮮が日本海にミサイルを撃ち込んできた。スワッ!一気に国防力アップの意見が増え、核のリースを含めた安全保障問題・憲法改正論、自衛隊の緊張感が高まっている。その論争は専門家に委ねたい。

 現在NHKの大河ドラマで放映中の「鎌倉殿の13人」は執権北条義時が主人公である。その8代目北条時宗の時代に日本へ押し寄せた2度の元寇(1274年文永の役1281年弘安の役)は、第二次世界大戦をも超える我が国史上最悪の国難とされている。それを退けたのは、偶然吹いた「神風」のお陰もあろうが、一番の勝因は得宗時宗の毅然とした決断力と鎌倉御家人武士団の決死の国土防衛心だと考えられる。(令和4年4月4日産経新聞オピニオン清湖口敏より)もし近い将来大陸の他国が日本に軍事侵略を開始したら、今の日本に鎌倉武士団(及び執権)やウクライナの人々(及びゼレンスキー大統領)のように自国を守ろうとする強い想いや決断力・団結力は沸くであろうか。今まで海に守られてきた島国日本は、国境が地続きのため頻繁に侵略の危機に晒されてきた国々と違い、危機感及び強固な国防信念が乏しい。現代は地球を半周以上飛んで正確に命中するミサイルが開発され海の防衛力は機能しなくなった。軍事的防衛力の低い日本はイチコロである。俄然日本国民の命の保証はなくなり不安と危機感が高まってきた。そして資源エネルギーが乏しく他国頼みの日本は、この点からも弱小国なのは明らかで、今後自然エネルギーやバイオマス、原子力の安全な再稼働や国産品回帰を進めなければ、危機を乗り越えられないのではないだろうか。

 とにかくウクライナの惨状は遠くの国で起こっている他人事ではないのだ。「もし徴兵されたら行きますか?」と周りの男性に何人か質問したところ、中年以降の人はほぼ「仕方ないね~行くしか」という答えが返ってきたが、若い人々は全員「逃げます!」と即答された。今後日本はどうなるのだろう。ただ自分の命さえあれば生きていさえすればいいのではなく、自分の生が存在する場を死守しなければ、より良い質の生を続けられないではないか。ウクライナと同じ危機感を日本の若い人も持ってほしい、そして一秒でも早く戦争が終わって欲しい<正義は勝つ>、と切に願う私である。

2022.4.24.

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