2023年も早や3ヶ月が過ぎ、桜は4月を待たずに満開となり、我が家の薔薇は一斉に芽吹いた葉っぱの中に蕾が顔を出し始めています。10日位早い季節の進み方を実感します。
3月は、日本中がWBC侍ジャパン優勝の歓喜に沸き、生まれてこの方こんなに日本人が一丸となって応援したことは、1964年の東京オリンピックや巨人軍のON時代でもなかった記憶です。そして優勝を牽引した28歳のMVP世界的スーパースター大谷翔平選手、今や日本人だけでなく世界中の人が二刀流という才能はもちろん外見や言動、人柄まで誰からも愛され称賛されている唯一無二(ユニコーン)の日本(及び世界)の宝ともいえる若者に、皆まだ毎日熱狂し続けています。優勝までの道のりも、漫画や映画のような展開が続き、私は予選から決勝までの7試合全て、正座して一球一球を集中して見守りました。幼少時から叔父の影響もあり、ずっと野球は好きで観ていましたが、こんなに真剣に集中して観たことは本当にありません。プロ野球というと、いつもオジサン達がビールを飲みながらヤジを飛ばしたり歌や楽器で応援したり、と騒がしく、何かを発散させるための娯楽だと思っていました。が、今回のWBCは全く違いまるで武道を見ているようでした。ストライク、ボール、ストレート、スライダーなど、両チーム合わせて1試合で250球くらいを両手を握り締めハラハラドキドキしながら見届けたのです。ピッチャーが弓道で、バッターが剣道のような、だから日本人の心性に合っているのでしょうか。NLBが始まっても引き続き日本人メジャーリーガーの活躍が毎日報道されていますが、新ルールのピッチクロックは、武道心性の日本野球人にはベースボールを強要されている感があり、やや難題だなと危惧しています。観る側も、集中して心を統一させるのに時間がかかるのですから。
WBCについては、もうテレビを始めとするマスコミで言い尽くされた感があるので、ここで私があらためて言及することは避けますが、一つだけ…
準決勝のメキシコ戦、8回裏2アウト満塁の時ネックストバッターボックスで集中力を高めて準備していた大谷選手は、近藤選手が倒れて3アウトになると、皆が守備に就きに出払った後伽藍洞になったダッグアウト内を一人短い猛ダッシュ走りの往復をしていました。その大谷選手の振り返った時の一瞬の表情を私は見逃しませんでした。それまでとは全く違う、獲物に狙いを定めた野獣のような眼光の鋭さから、次の回絶対自分が決めてやる!という確信に近い決意を感じ取りました。それは全盛期のタイガー・ウッズの眼光と同じでした。30年位前パットが苦手だった私はタイガーの本を読み、「パットは必ず入れる!と強い想いで打たないと入らない」と書いてあったため、翌日のラウンドでそれを心に刻んで打ったところ、別人のように不思議なくらいパットが入ったのです。スポーツにはプラスのメンタルが必須です。だから「次大谷君が絶対決める」と信じられました。そして9回裏先頭バッターで出て初球を打って2塁へ、またそれを1点のみのホームラン狙いで強振するのではなく、ヒットで繋いで2点目を取って勝つ狙いで塁に出たのでしょう。ヘルメットをかなぐり捨てて全力疾走し2塁で止まったのも、無理して3塁まで行こうとせず、後続の仲間を信じ、2塁ベース上で両手を下から煽って、3塁側ベンチにいる侍ジャパンの仲間に向けて「俺に続いて来~い!」とばかりに檄を飛ばして鼓舞、その後出た村上選手の奇跡の逆転サヨナラ2塁打も、大谷選手の勝つんだ!という魂の鼓舞から生み出されたものといえるでしょう。チームプレイに徹した一瞬一瞬の判断は素晴らしいものでした。激闘の後のインタビューで「9回は塁に出ると決めていました」という大谷選手の言葉は、あの眼光から感じた私の印象そのままでした。翌日のアメリカとの決勝戦、最後9回表に満を持して登板した大谷投手、映画のワンシーンのように泥だらけのユニフォームのままゆっくりマウンドに向かう姿、そしてエンジェルスのチームメイト、マイク・トラウトを3振に切って取り、優勝を決めた直後の喜びの爆発、どれも劇的・感動的でした。最後の2試合は、試合終了直後思わず涙が込み上げてきました。日本中が一つになって喜びを爆発させた瞬間ですね。私の周りではWBCを観なかった人を探す方が難しいくらい、TV視聴率以上日本人の80%近くが観たのではないでしょうか。その後クリニックに来た漫画家の患者さんは「あんなこと実際にされたら、もう漫画描けないよ」と嘆きました。ほとんどの患者さんがWBCの感動を話されましたが、特に80歳以上のおじいちゃんおばあちゃんが、孫の活躍を見るように手放しで喜び、幾分若返られたように見受けられました。90歳の父も、実家で同世代の友人を呼んで観戦したとのこと、「大谷!大谷は凄い!メッシのW杯サッカーといい、 死ぬ前に良いものを観たなあ、いい冥途の土産ができた」と手放しで喜んでいました~亡き母は大の大谷ファンでした。
栗山監督もあの優しそうな笑顔の裏で、ブレない勝負師的決断をする姿(実際は物凄い量の勉強をされた結果の理論家です)は、大谷選手同様、以前エッセイにも書いたよう「プラス思考=マイナス思考を封印する」即ち「できるかできないかではなく、やるかやらないか」だけという人なのです。「できるかどうか…」という考え方の裏には、既に「できないcan’tかも知れない不安=マイナス思考」がちらついています。「やるかやらないか」というのは、100か0でつまりは「やるdoのみ!」です。二人はdo!しか頭にない人なのです。それが「勝ち切る」という言葉に込められていたと思います。スポーツだけでなく、受験や人生においても同じで、プラス思考でないと成功は呼び込めない、ということを再確認しました。
PS.)大谷翔平選手がアメリカに渡ってから、日本人選手で一番好きな選手はオリックスの吉田正尚選手でした。あの強く速いボディーターンスイングが好きでした。今のレッドソックスでの大活躍は予想通りで嬉しい限りです。
またこの春3月13日からマスク着用は個人の判断に委ねられることとなり、さっそく私は患者さんにマスクを取ってもらい、顔全体を見て診療することにしました。心の科の診察にマスクをされると、間にアクリル板があることも支障があるのですが、顔色や表情が全部見られず、心の機微を探れません。医学部の最初の臨床講義で「まず視診、触診から」と習いました。最近では内科診察でも、PC画面の検査数値や画像診断と薬の処方にいそしんで、患者の顔もろくに診ない医者が多くなり、ましてやコロナのせいもあるのか触診などほとんどされなくなっています。母の生前の定期診察に付き添っていた私は、神経難病の母なのに、一度も打腱器で神経学的検査をせず、全く母の体に触らない医師に堪忍袋の緒が切れて、「先生、母に触って診察して下さいよ!」と言ってしまいました。精神科医は、患者の話を聞いただけで、それを鵜呑みにして診断治療するものではありません。顔色や、笑っているか泣きそうなのか怒っているのか脅えているのか、その繊細な表情の変化は心の動きを探る重要な診察道具なのです。また医師と患者のあいだの空気・空間、そこは無ではありません。最新の物理学によると、人と人のあいだには無数の素粒子が超高速で飛び交っており、Aが吐き出した素粒子を他方Bが吸い、またBが吐いた素粒子をAが吸っているといいます。だから人と人のあいだに通い合う何かが生まれ、互いにそれを紡ぎながら心の交流が深まっていくのです。長年苦楽を共にした夫婦は、不思議なことに、歳をとると顔が似てくることがよくあります。診察中の空間には多くの診察・治療材料があるのです。
マスクを取ってもらったら、COVID-19が始まってから初診して通い始めた患者さんの顔は、その間私が勝手に想像していたものとは大きく違っていたことに驚き続けています。まるで福笑いの顔の上下半分を組み合わせ間違いしていたかのように、驚いて内心かなり動揺し、今まで勝手に想像していた顔の下半分を一生懸命払拭しながら、診察に入るのです。本当に申し訳ありません。
マスクを取って診察を始めると、初めは「化粧してないから」とか「花粉症がひどいので」とか「髭剃ってないなあ」と言いながら、少し恥ずかし気にマスクを取って話し始める患者さん達も、診察が進むうちにだんだん表情筋が動くようになり、笑顔が増えてお互い心がほぐれていくのを感じます。やはり顔全部を見て、「あいだ」の空気をシャッフルさせるように会話するのは、とても安心感があり気持ちの良いものです。
しかし、マスクを取ってもらって、一瞬で顔色の悪さと痩せに気付き、質(たち)の悪い身体疾患を見つけてしまったこともあります。やはり医者には患者さんの顔をしっかり見る視診が大事だと痛感しました。5月になったら、いよいよアクリル板も取り除こうと思っています。
今年岸田首相は、「異次元の少子化対策」として子育て世帯への現金給付を打ち出していますが、少子化が進んだのは、出産や子育てにお金がかかるという経済的な理由からだけでしょうか? 近年、「自己実現のために産むのは今じゃない」と、出産時期を先延ばしするために卵子を冷凍保存する女性が増えているとのことですが、そのことも含めて、現代の若者世代に、“自我肥大”の傾向が拡大してきているように感じます。自己実現~自分のやりたいことや承認欲求・自己評価の向上~(それも大切な事ですが)を優先して、他人や社会(的使命)のこと、更には次世代の子供・子孫のことまで頭が回っていないのではないでしょうか。戦前の全体主義から、戦後欧米の個人主義が入ってきたための変化(自己中心的ともいえる)なのでしょう。もちろん全体主義に戻ろうというのではありません。ただこのまま個人主義が進み過ぎれば、皆個人の夢の実現に邁進して国や子孫のことを考えなくなり、安住する国と未来は消滅してしまいます。若者の自己意識と国や社会への意識のバランスがうまく取れた状態にならないと、少子化に歯止めはかからないのではないでしょうか。
今、巷の40代後半から70代の女性達は、親の介護や孫の世話をしている人達を除けば、時間的余裕のある人が多いはずです。ジム通いに奔走し、ママ友とランチしながらおしゃべりに興じる、こういったオバサン達の子育て経験を社会に生かす方法として、前にこのエッセイにも書いた「乳母制度」を導入してはどうでしょうか。その女性達をベビーシッター制に登録して必要な世帯に派遣する、そういうところにNPOなり国のお金を使う方が、長い目で見て時間の余っている女性達にも社会貢献した上にお金が回り、少子化対策に効果が上がるのではないでしょうか。
COVID-19が治まりつつあるこの春、このような事を一人考える私でした。
2023.4.10.