今年のGWは5回目のタヒチ・ダイビング旅行に1人で出かけました。タヒチといっても、あまり知られていないファカラバというユネスコの生態系自然保護区に指定されている手つかずの自然が残るサンゴ礁のラグーン島で、潮の急流に身を任せるドリフトダイビングとサメ三昧のダイビングが売りの海へ。しかしあまり喜び勇んで出かけたわけではなく、飛行機に乗っても{これからタヒチに行くのかなあ?}と実感のないまま、早朝タヒチ島の空港に着きました。ファカラバ島への乗継便までに6時間程あったので、真っ先に高級リゾートホテル併設のダイビングショップでマネージャー・インストラクターをしているフランス人の私のバディー(ダイビングの時ペアーを組む相手)に会いに行くと、テラスからモーレア島を望むタヒチ特有の海と空のエメラルドグリーン&ブルーのグラデーションが目の中に飛び込んできて、「あー! タヒチだ!そうかタヒチに来たんだ! 」とようやく実感が沸き上がりました。海と水上コテージを臨むリゾートプールの横庭の道を抜けてショップに着くと、まもなく彼が現れました。アポイントなしで行ったのですが、5年振りの再会を喜び合い、モーニングティーを飲みながら、互いの5年間を色々と話しました。ランギロア島へ行くといつも私のバディーを買って出てくれていた彼にbabyが産まれたことを風の便りで知っていた私は「おめでとう。結婚したんだね。」と言うと、「ありがとう、babyは4人目で、1番上はもう高校生。でも僕結婚はしないんだ。子供たちの母親は色々だけど、結婚は一度もしてないよ。パートナー制主義なんだ。」とさらっと言いました。身長190㎝程の正統派フランス人イケメンの彼も、ややオジサンの貫録が出て、流れた時間だけ人生及び人格が深まった感がありました。その後彼に空港まで送ってもらい、ファカラバ島に到着、4日間で10ダイブして最後が100本記念ダイビングとなりました。最後の日に2本、99本目にハンマーヘッドシャーク、100本目のラスト浮上直前になんとタイガーシャーク(人食いザメ)が出るというミラクルが起こり、皆狂喜乱舞しました。アメリカ人、オーストラリア人、イタリア人、ドイツ人と世界中から集まったダイバーの中に私を含めて日本人は5人、その中に一組感じの良い私と同年代のご夫婦がいらっしゃいました。お二人は個々に自立した仕事を持ち、10年程前ちゃんと結婚式まで挙げたのに入籍はしていないということでした。人生の機微が分かった年代での自立した者同士の結婚の形態に新鮮さを感じ、ここ何年か私の考えている入籍しない事実婚、パートナー制度について熟考する良い機会となりました。
クリニックには、夫婦問題で受診する方が年々増えています。年代は若い人から熟年・老年(?)まで、主訴は配偶者の浮気・ハラスメント・コミュニケーション不足・相互の親の問題、相続問題など様々ですが、日本における民法上の婚姻制度の意味をきちんと理解している日本人はどれほどいるのかと思わされます。実は日本の民法上の婚姻制度とは「家」を存続させるためのものです。好きになった異性と一緒に暮らし、姓を統一して(主に男性の姓に。婿養子として女性の家の姓に統一することは最近では極稀)幸せ!と当初は感じている人がほとんどでしょうが、女が姓を持てるようになったのは、実はたった150年前の明治以降なのです。それ以前は女性には姓はなく「(お)いわ」、「(お)きく」、「政子―源のではなく北条の」「富子―足利ではなく日野の」と、女帝でさえ「○子」等と名前のみで呼ばれていたのです。最近は恋愛結婚がほとんどですが、昭和の中旬迄は、見合い結婚が多く、家紋を絶やさないために養子を取ってまでということが多々ありました。私の10代頃は、女性の職業欄に堂々と「家事手伝い・花嫁見習い中」と書かかれていたのです。
近年日本も若い世代では、男性に扶養されながら家事・育児をこなす担当として家を守る「女」=主婦業が減り、男女平等参画社会の御旗の元、社会に出て働き、子供は親や保育園などに預けて、夫をイクメンと称して家事・育児も同等に分担させるのが当たり前という風潮が出てきました。結婚の条件として、結婚後も子供を預けて働いてくれないと困ると言う男性もいるようです。それでは、女性が男性と同等に働いて収入を得て生活できるようになった今、男女二人の姓を統一する意味=結婚に何の意味があるのでしょうか?生物学的に考えると、結婚式・披露宴という儀式は、《この一対の男女は、これから次の世代を生み育てていくつがい なので、他の異性は手を出すな!》という周囲への御触れみたいなものです。家系を存続させる為に、その家の姓で統一させた日本の習わしが、いつの間にか愛情の継続を神の元で誓わせて一体感を持たせ、婚姻届という紙の上での契約が、絶対的な互いの浮気防止や遺産相続の保証書のように機能しているのです。しかしまもなくどちらかが他の異性に興味を持ったり、結婚当初の緊張感が薄れて元家族のように配偶者をぞんざいに扱ったり、子育ての援助にと女性の実家近くに居を移して男性は婿養子のようになり、いつの間にか近年は「男の子は結婚すると嫁の家に取られてしまう。」という親の言葉がよく聞かれるようになりました。嫁姑問題が勃発する家もあり、挙句の果てに、夫の親の老後の面倒は見たくない、一緒の墓にも入りたくない、実家の墓に入りたい、と堂々と言い出す嫁なども。徐々に当初の愛情・一体感は薄れていきます。日本の民法では、婚姻・入籍してその家の人間になるわけですが、核家族化が進みその認識はなくなり、元家族の価値観や振る舞い方のままでぶつかっている夫婦も見受けられます。また夫が定年退職後は、「私の生活リズムが崩される。毎日ずっと家にいて三食ご飯を作らなければいけない、どこかへ行ってほしい。」という妻。長年外で企業戦士として働いてその稼ぎで子供と共に養ってくれた夫に対して、長年その家で家事をしていたとはいえ、家を建てた夫に対して出て行けと言う妻とは!? 俄かには耳を疑う言葉が炸裂し一時唖然とします。「結婚当初の初々しい気持ちはどこへ行ってしまったのか?」と聞くと大抵の人が「忘れた」と言います。長い月日は神の前での誓いをすっかり消してしまうのですね。婚姻届という紙を役所に提出したら、配偶者は自分の物で、裏切られたら、一方がその紙で縛り、他方は「しかし離婚すると経済的に生きていけない、遺産が手に入らないから離婚できない。」とその紙に苦しめられている場合もあります。すでに愛情を失くした不純な苦悩、婚姻の末路です。
ということで世界では年々離婚率は上がり、非婚主義の人が増えてきたのでしょう。日本ではまだ少ないですが、欧米(特にイギリス・フランス・アイルランド等)では既に、籍を入れる婚姻ではなく、パートナー制度が主流になってきています。日本でいう事実婚、夫婦別姓制です。愛情が覚めたら解消し次のパートナーへ、と。人間も地球上の一生物として、法律や制度に縛られず、自然に、純粋な愛情や本能を優先にして生きていこうとする姿勢です。子供はどうするのかが問題ですが…。更に欧州の若い世代ではキリスト教を信仰する人も減り、神の前で永遠の愛を誓うこともしなくなってきていると聞きます。つい最近イギリス王室のヘンリー王子の結婚式の際、神父様の言葉が新鮮に心に響き、結婚も良いものかも、と思ったイギリスの若者が多かったというニュースがありましたが、それは非婚主義からの逆の見直しですね。そもそも婚姻制度というのは各国の政策によって違うのです。韓国では結婚しても姓は変えないし、ミドルネームを使う国もあります。中国は結婚しても実家の方を大事にします。アフリカの某種族は一夫多妻制(正式な婚姻制度があるかどうか定かではありませんが)で皆一緒に住み、妻が多いほど男として力が強いとされています。日本でも最近は、結婚しても姓を変えずに旧姓で仕事をしている女性が増えてきました。私たち医師は、結婚・離婚で論文の名字が変わり、同一人物として検索されず、不利益を被ることがあります。
タヒチで出会った2組の非婚・パートナー主義は、まさにその最近の傾向の身近例であり、とても嬉しく感じました。常々私は、今春社会人となり適齢期に入った娘に、「結婚式や披露宴はしてもいいけど、入籍はしないで、婚姻届という人為的な紙の上での契約を結ばなくて信頼し合える絆で、危機を迎えてもその紙で縛り合わないようなカップルを目指しなさい。お互いの家・親は大切にして。」と言っています。最初驚いて抵抗を示していた娘も最近は「それはかなり先進的な考えだけど、確かに理想的だね。考えてみるわ。」と言うようになってきました。確かにまだまだ日本では受け入れ困難な発想かも知れませんが、世界的傾向から眺めると、将来いつかそういう流れになる!と確信している私です。
2018.6.25.