「癌死」について

 しばらく諸事情によりこのエッセイを書けずにいましたが、ようやくパソコンに向かいました。昨夏のカンクン旅行後マヤの呪いは解けたと思っていましたが、その後も我が家・親族に青天の霹靂(へきれき)は雨霰(あられ)の如く降り注ぎ、その対応に追われていました。こんなに一度に(数か月の間に)身近な人が癌(末期も含めて)・心筋梗塞・脳梗塞・自動車事故・中毒・事件被害等に襲われることがあるのだろうか?と思わずにいられないくらい起こって、真剣にお正月二度目のお祓いに行きましたが、ご利益はなかったようです。その間常に私の中に浮遊していたのは「死」という概念でした。今のところ取りあえず皆「死」は棚上げ状態となっているのですが、皆~当人と私を含めて~一瞬は「死」を意識したものと思います。
 今年明けの10日に急逝されたジャーナリストの竹田圭吾さんの「癌が見つかってそれで人生終わりというわけではない。ちょっと種類の違う人生が続くだけのことなんですね。」という言葉を偶然テレビで聞いて衝撃を受けました。確かに私は身近な人に「さよなら」のお別れをしなくてはいけないのか、と覚悟したものです。しかしまだ皆さんご存命であることからも、それで即終わりを想像したことは本当に申し訳なかったと思います。実際あと10年以内には癌は不治の病ではなくなる、と言われているほど現代医学は進んでいるとこの度現場に接して知りました。昔の結核などのように。
 また「死」には3種類あって、自己の死である「一人称の死」、親や身内親しい人の死を「二人称の死」、その他見ず知らずの他人の死を「三人称の死」とします。上記の私の周りの近しい人達の中には、自分が末期癌に侵されていたと突然分かったにもかかわらず、全く変わらずあっけらか~んとしている人達がいました。末期癌と聞いて動揺していた私は、少し時間をおいて、失礼かと思いながらもおずおずと「どうしてそのように普通でいられるんですか?」尋ねたところ、皆同様に「だって自分のことのように思えないんですもん。えっ自分が?っていう感じで実感がない。全く自覚症状もないし。」と言うのです。逆に自分が癌になったわけではないのに、身近な身内の危機的事態を自分の事の如く「もうすぐにでも死んでしまって今後自分はどう生きて行けば良いか分からない!」と慌てふためき食事もできず足腰も立たなくなり、当人よりも先に自分の方が今にも死んでしまいそうな嘆き方で常態を保てなくなる人がいます。表面上は何とか取り繕おうとしていましたが、心の中では私もその一人でした。いわゆる「二人称の死」なのに、「一人称の死」の如く受け止めてしまうのです。それは特に配偶者(妻)が多い傾向にあります。当院にはこの「一人称の死」と「二人称の死」のショックから受診される方がいます。「一人称の死」は当然ですが、「二人称の死」も結構重篤でカウンセリング・薬物療法に長い時間を要します。少し前から自律訓練法を含めた心身回復ヨガを行っているヨガスタジオ・リーバでは、癌患者さんとその家族を含めた心身ヨガセラピーを始めたところでもあります。
 私も身近な人に癌を持った当初は、俄かには信じがたい驚きと触れてはいけない領域(タブー)のように感じて、当人に対してその言葉をなかなか発っせず、癌専門の病院へ初めて行った時は、「ここにいる人達は皆まもなく死んでしまわれるのだろうか?」とやや身が震える思いで歩いていたような気がします。急遽付き添って何度も何度もその病院に通う内に「癌」=即「死」ではなく、現代医学により5年生存率10年生存率は特段に上がってきていることを知りました。昔のように「癌告知」をするかしないか、と家族が医師に問われる間もなく、医師は即座に本人に直接検査結果と病状を説明して治療法を選択しよう、というスタンスなっていました。ショックを受けている暇もなく本人は今後を考えなくてはならないのです。しかし竹田圭吾さんもおっしゃっていたように「癌と闘う」というほどの壮絶さではなく、「癌とどう付き合っていくか」という具合です。「一人称の死」や「二人称の死」ということを嘆いている間もなく、どんどん検査と治療は進められていきました。気が付いたら全ての治療は終わり、以前の生活に戻ったのですが、何かが違う、そう「生」に対して本人も私も以前より真摯になっていることに気が付きました。今生きていることに大いなる有難さを感じ、今後生きていくことに対して緻密になったような気がします。竹田圭吾さんの言った「違う種類の人生が続く」、“人生の質が変わった”ような実感です。実際父は実に良い人になりました。母はボソッと「もっと早くこの病気になってくれていたら私は幸せだったのに。」と私に言いました。(笑い)
 私が驚愕した、末期癌⇒自己の死「一人称の死」なのに他人事のように話す人に、それは「一人称の死」を「三人称の死」の如く受け止めていたのではないか?と気付いて聞いてみたところ、「ああ、確かに、そうなのかもしれないな。」という答えがすんなりと返ってきました。精神が強いということではなく、受け止め感じる層が違っている、自分の心と身体が別々に感じられるということなのでしょうか、癌宣告により、「一人称・二人称・三人称」という意識が身体の上を浮遊する、その仕方が人によって異なるのではないかと考えます。しかし治療は「一人称の死」・「二人称の死」を「三人称の死」のように考えた方がうまくいくような気がします。自分や身近な人のことを少し離れたところから眺めて、マイナス思考よりプラス思考で癌と付き合いながら生きて行った方が質の良い人生が送れて、結果としてより少し長く生きられるのではないでしょうか。
 癌患者さんや病院に対していわゆる「三人称の死」として以前おそれ(懼れ・畏れ・怖れ)のような偏見を持っていた自分に対して今では罪悪感すら覚えます。果たして自分がそうなった時どのように感じ対処するのか分かりませんが、今では通い慣れた病院を歩く人々に「一日でも長生きしてください!」と心の中でエールを送って歩いている自分がいることに気付きました。
2016.3.8

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