健さんの死

 高倉健さんが亡くなった。一瞬「えっ!?」と私の中の何かが止まった気がした。特別熱狂的なファンではなかったが、一昨年秋にテレビのバラエティー番組に出演されているところを偶然見て(めったにその番組は見ないのだが)、「あっ、健さんでもバラエティーに出るような時代になってしまったんだ…」とちょっと驚きというより残念な気持ちを抱いた覚えがある。銀幕のスター「高倉健」が身近なおじさん(おじいさん?)に見えて、良い意味で親しみを感じたというのではなく、雲の上の近寄りがたい最後の日本男児が下界・俗世に下りてきてしまったというある種の落胆である。あの時私の中で「高倉健」は死んでしまった。ので今回訃報を聞いて「ああ、やっぱりいなくなってしまわれたのか…」という想いが心の中にポッカリ浮かんだ。私は任侠映画時代の高倉健は知らない。「幸せの黄色いハンカチ」以降の健さん映画を大学時代かなり凝って見た時がある。美空ひばりと同い年の母が「高倉健が日本で一番いい男だ。」と言ってファンだったこともあり、江利チエミと結婚・離婚したことも驚きだったが、武田鉄也が「幸せの黄色いハンカチ」に出ている姿を見て「どうしてフォークソングの歌手が映画に出るの?」と当時としては不思議な起用に驚いた記憶がある。路線を大きく方向転換して孤高に生きる健さんにブレナイ自我の強さを感じ、日本男児の象徴として“決して死なない”イメージがあったのに、「あの健さんでも死んでしまうのか…」と“生ある者は皆必ず死する”、という当たり前のことを再認識し、同時に自分の生まれた昭和が終わってしまった、という気分になった。健さんと言えば、硬派。「硬派」…そして「大和撫子」「亭主関白」「三歩後ろを歩く」などの言葉はもう死語に近いものとなっている今の平成日本。面白くなければ女の子にもてないという軟派男児や草食系男子が増え、テレビもお笑い系ばかりで、堅い番組が数少なくなっている。私が歳のせいで考えや志向が古いのかも知れないが、本当に健さんのような男性を周りで見なくなったと実感する。年末、指を怪我した私は泳ぐこともできず、健さんの遺作映画を立て続けに観た。しかし、「駅」「幸せの黄色いハンカチ」などは昔(35年位前)観たはずなのに、錆の部分以外ほとんどあらすじもシーンも覚えていなかった自分に唖然とした。本当に歳をとってしまった、と。遺作映画となった「あなたへ」の健さんの歩き方・後ろ姿に、80歳を超えた父の姿が重なった。いつか父にもこのような日が来るんだ…、と。胸が詰まる想いがした。
 さらに年末、訃報が飛び込んできた。2歳下の私の後輩が二人急死と病死したという。ショックだった。あんなに元気だった彼が、前日までジムで見かけた彼女が、と。人の一生とは儚いもので、いつか自分にも来るもの、いつ突然来てもいいように覚悟しておこう!と思った。そして年末年始の6日間は大晦日も元旦も朝から深夜までずっと書類のダンシャリに明け暮れた。30年分の論文・文献や、引っ越し以来15年間開けていなかった段ボールの中の学問・仕事関係の書類を1枚づつ目を通して整理して一つの引き出しにまとめ、あとは大量処分した。すっきりした!海外旅行に行くより。しかし年明け手伝ってくれた父が倒れた。「本当に死んでしまう!」と不安になった。急遽朝一の新幹線で駆けつけ救急受診させ、原因を解明し何とか回復傾向に向かっている。正月から半月経ってようやく皆で行けた墓参りでは、我が家の墓にだけ花がなく、眼前に広がる雲一つない青空にそびえる御嶽山は、もう噴煙を上げておらず、代わりに美しい雪を頂いていた。あそこにまだ何人もの人が埋まっていると思うと、「自然とは残酷でもあるなあ」との想いを抱いた。
2015.1.21

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