昨年末のエッセイに書いたように、6月14日から念願であったドジャースの試合を観るべくロサンゼルス(以後LA)へ行って参りました。実際の試合を生で観ないでものを言ったり書いたりしてはいけない!と思っていたので、昨年ワールドシリーズでドジャースが優勝後に発表された2025年度のMLB全日程を眺めながら期日を考えました。大谷選手はMr. June と言われるほど6月に絶好調となりホームランを量産すること、そして5月にはピッチャー復帰して二刀流になるのではないか、また対戦カードは同地区のライバルチームであるサンフランシスコ・ジャイアンツとサンディエゴ・パドレスが良かろうと考えて、比較的休診にしやすい日程を選んで6/14、6/15の対ジャイアンツ2戦と6/15、6/17の対パドレス2戦の計4試合を観戦することにしたのです。医者になって以来40年以上、6月は梅雨時で患者さんが鬱っぽくなるため休んだたことがなかったのですが、早くから患者さんに告知しておいたところ、皆さんエッセイを読んで下さっている為か快く了承して下さり、初めて6月に思い切って3日間休みを取りました。チケットは年明けの1月から順次自分でMLBのBallParkアプリから取れるので、3月まで良い席が出ないか慎重にチェックし続けて、角度を変えて観られる内野席を4つ確保しました。当初、娘は一人でアメリカに行くことに猛反対していました。アメリカ人の中には「COVID-19をばらまいたのはアジア人だ!そのせいで大切な人や仕事を失った!」と思い込んでいる人がおり、アジア人に対する差別偏見(ヘイトクライム)が強く、特にLAでは女性一人だと街中でも突然殴られる危険性が高いとのことで。しかし「全く野球の事知らないけど、こんなチャンス(私について行けばドジャースタジアムで大谷選手を観られる)ないかと思って」と誘いに乗った大学時代の同級生(麻酔科女医)が一緒に行くことで、了承してくれました。しかし彼女は仕事があり一日早く帰国するため、最終日は私一人になるのですが…。
5月GW 娘のいるベトナムから帰国後呼吸器が不調で寝込んでいた私は、5月11日(日)朝、ようやく本来の体調に戻り、延期していた満開に咲く薔薇の消毒準備に取り掛かろうと、薔薇を見上げながら外階段の最後の一段を降りたつもりが、瞬間バキッと激しい音がして崩れ落ちました。踏み外した左足首が過内転しており、直後は歩いて玄関に入りましたが、その後は身動きできず、玄関マットの上に置いてあった携帯電話で救急車を呼び病院へ、見事に左腓骨骨頭骨折しており、手術は免れましたが、全治6週間と診断されました。LAドジャース行きまで5週間を切っていました。最近は骨折治療でギプスは撒かず、下腿の背面にシーネを当てて包帯でぐるぐる巻き固定し、毎日シーネを外して電気治療するということで、松葉杖を突いて毎日病院へ通いました。とにかく松葉杖での一人暮らしは地獄でした。時々松葉杖ごと前方へつんのめって激しく倒れることがあり、1↔2階の移動はお尻と両腕を交互に着いて一段ずつゆっくり上がったり下がったりし、ゴミ捨てと洗濯物干しは段差の大きい外階段を降りねばならず、最初はケンケンしていたものの遂には疲れ果て、這ってやっていました。台所でもほんの50㎝先の醬油に手が届かず、ずっと立って作業することは困難となり、左足の膝を折って持ち込んだ椅子の上に置くとほっと休めて義足の人の気持ちが少し分かったような気がしました。松葉杖は、骨折していない右足ばかり使い、右股関節への負荷が大きく痛くなり始めたので、患者さん用のキャスター付き丸椅子を急遽Amazonで購入し即日組み立てて、右足で蹴る車椅子のように使うと、一気に移動が楽になりました。2週間後、シーネを外してテーピング固定に変り、電気治療は週1回となりました。その2週間後、テーピングも取れてサポーターだけになったのは、LAへ発つ5日前でした。何しろ2ヶ月間水泳・ヨガなど一切運動できず、下肢のみならず上肢・体感など全身の筋力がガタ落ちで、歩き方も忘れてしまったような私だったので、ドジャースタジアム内を歩けるか不安でした。なので、羽田とロスの空港では車椅子を借りる予約を入れておきました。また飛行機内では足が浮腫む恐れがあるとのことで、費用を抑えて取った席をグレードアップせざるを得ませんでした。
6月初めにLA市内で、トランプ大統領の移民政策による不法移民の大規模摘発に抗議するデモが起こり、ダウンタウンにある連邦政府庁舎の拘置所前で一部が暴徒化し破壊や略奪行為にまで拡大しました。その事態を鎮静化するために、大統領が州兵や海兵隊まで派遣することになり、日本外務省からLAのリトルトウキョー近辺には行かないよう注意喚起されたため、出発直前にダウンタウン内ですが現場から離れた大型ホテルに変更しました。またLA市からダウンタウンに20時以降夜間外出禁止令が出されたため、羽田から飛び立つ時は、台風の目の中や真珠湾へ突っ込んで行くような気分でした。しかし6月初めからLA在住の息子さん宅に滞在している勉強会仲間の先生に問い合わせると、「えっ、デモ?何のことですか?今初めて知りましたが、全く静穏ですよ」とのことだったので、報道の真偽を疑いながら。16時間の時差があり6/14同日午前11時頃LA空港に到着すると、羽田空港でもそうだったように、車椅子スタッフがとても親切でスムーズに移動させてもらいました。そこからUberでホテルに移動し、荷物を置いて速攻でスタジアムへ向かいました。19時過ぎからのジャイアンツ戦前にプレゲームツアーを申し込んでいたので、試合開始4時間前に集合場所に到着するはずでしたが、ドジャースタジアムは周りに何もない小高い丘の上にあり、Uber を降りて、まだ治り切っていない骨折後の足首を引きずりながら、木陰も全くない炎天下、広大なまだ空っぽの駐車場を横断してひたすら歩いて上るしかありませんでした。しかしどこまで行っても集合場所らしきところはなく、スタッフらしき人を見つけては尋ねながら、「あっちだ」「こっちだ」という指示の元、ようやく着いた時には、全身汗だくで、左足首は骨折後こんなに歩いたことがないため痛みを通り越して感覚がなくなっていました。
ゲートからスタジアムに入っても、スタジアムのレベルから5階席まで階段を歩いて登り更にスタジアムを一周せねばならず、もう限界!と、車椅子を貸してもらいました。まだリハビリもしていないのに、これがリハビリを兼ねた地獄の猛特訓となりました。プレゲームツアーはセンターフィールドから始まるのですが、そこからレフトの外野席に上がると、目の前の芝の外野で昨日先発した山本由伸投手がキャッチボールをしていました。昨日投げたばかりなのに肩痛くないの?負けたから反省のためにもう練習してるの?と驚きました。昨日家のTVで途中までそれを観ながら日本を発った私が、もうここLAドジャースタジアム内にいて、投げた山本投手を目の前で見ているなんて! ツアーは約1時間でスタジアム内外を見学しながら一周し、対戦相手のジャイアンツの選手たちが練習する姿を見つつ、試合開始までスタジアム内で過ごしました。
初日の席は、バックネット裏の1塁寄り内野席中段で、丁度大谷君が打席に立つ背中後方に当たり、3塁側ドジャースのダッグアウトが見えるよう選びました(が、なかなか大谷君は表に出て来ず見えませんでした)。その日は那覇市生まれのロバーツ監督に沖縄県民栄誉賞が授与され、始球式で玉城デニー沖縄県知事が投げました。満員に埋め尽くされた観客席の約8割が17番のユニフォームを着ており、スクリーンに先発メンバーが発表され始め「1番DH大谷翔平」と映し出されると、大歓声が沸きました。いよいよ試合開始!先発ピッチャーはレジェンドC.カーショー、打者3人で1回表を終えると、その裏のドジャースの攻撃は大谷君から。バッターボックスへ向かう、手足が長くて体は大きいのですが頭が小さくスーッとカッコイイ生の大谷君が私の目の前に現れました。私は「大谷君ここ10打席打ってないからそろそろ先頭打者ホームラン打つよ!」と期待混じりに予言すると、なんと!2ボール1ストライク後の4球目、甲高い「カ~ン」という凄まじく大きな乾いた音と共に、バットを振り切った後の大谷君の美しくしなやかなフォームが私の眼前に静止しており、一瞬でホームランだー!とわかりました。
本当に予言が的中したものの、いきなりあっという間の一発で写真もビデオも用意できず…、球場全体が歓喜に湧き皆総立ちでした。私は「こういう日は2打席連続でホームラン打つんだよ」と何となく言ったところ、(その後2打席目は四球で出塁し、犠牲フライで3塁から激走し勢い余って一回転、走る姿も手足が長くて豪快でカッコよく、3打席目は途中から申告敬遠となりガッカリ、と同時に「真剣な攻防を期待して高額払って来ている観客に対して失礼だ!」と憤慨しブーイングに同調しました。その後もドジャースは得点を重ね)6回裏大谷君の第4打席、今度は初めからホームランチャンスを狙ってスマホを構えていました。3ボール2ストライクからハーフスイング様にバットの先っぽに当たって高く上がったフライを「届くかなあ~」と外野の方までビデオモードで追っていくと、ギリギリでライトスタンドに入り今日2本目のホームラン!今度はしっかりビデオに撮れました。またしても予言が当たり(2打席連蔵ではないけれど)、なんとラーッキーな、初日から生の大谷君のHR2本を目の前で観られるなんて!東京ドームではHRを観られなかったので、現地に来て本当に良かった~と思いました。前述のLA滞在中の先生もライト外野席で観戦中で、1本目は車で来場中駐車場に入る大渋滞に巻き込まれていて間に合わず残念!と、2本目について「HRボールゲットできましたか?」とLINE すると、「争いました!」と返ってきました。食事は名物のドジャ―ドックと銀だこのたこ焼きで済ませましたが、破格の値段で、水1本1500円でした。セキュリティーの関係上飲食物を持ち込めなので仕方ありません。時差ボケで試合中うたた寝してしまい、試合の一部の記憶がありません。試合は11対0でドジャースが大勝して終わりそうな9回表、ピッチャー陣を温存するため野手のキケ・ヘルナンデスがマウンドに上がり、人気者登場で会場は大盛り上がりですが、連続フォアボールの後ホームランを打たれ11-5となり中々試合が終わらず、渋滞に巻き込まれないよう早目に出口近くに移動していた私は、通路に立ったまま試合を観ていました。ようやく監督がピッチャー・バンダを投入し何とか試合終了し急いで出口へ、既に22時を大きく過ぎていました。良い試合を観られた満足感を持ってスタジアムを出たのですが、これからが大変!5万人以上の人が一斉にスタジアムの丘を降りて家路に着こうとするのです。自家用車、バス、Uberと歩く人々で大渋滞、ホテルのあるダウンタウンには20時以降夜間外出禁止令が出ているため(宿泊証明とパスポートを持っていないと逮捕される)、私達は危険より安全を優先させて日本から予約しておいたツアー会社の超高額な車(それも集合場所に迷い)で帰りました。車中「最後キケを出すなら、こういう時大谷君に1イニングだけ試験登板させればいいのにね~」と話していました。ホテルに戻るともう日が変わる0時に近くになっており、長い長い初日が終わりました。
翌6月15日は16時過ぎから試合だったので、乗り放題の2階建て観光バスに乗ったままハリウッドからビバリーヒルズを経由してサンタモニカの海辺まで巡ることにしました。初めはホテル前からダウンタウンを周遊してハリウッド迄行くはずでしたが、ICE(移民税関執行局)反対デモ騒動の為ダウンタウンを回るバスは欠便となり、ハリウッド迄Uberで行って、そこから出発することにしました。サンタモニカでは、当初海に入ろうと思ってサンダルを持っていきましたが、波が荒く水もあまり綺麗ではなく、足首もまだ不安定だったので、砂浜に降りず上から眺めるだけにし、美味しいシーフードを食べて地下鉄でホテルへ直帰しました。LAへ来る前は「LAの地下鉄は怖いよ~」と聞かされていたのですが、地下鉄(メトロ)エクスポEラインは新しそうで、始発のサンタモニカ駅は地上にあり明るく、車両も綺麗でした。乗客も少なく旅行者がほとんどで危険は感じず、途中Expo○○駅に到着すると、ホームに待ち構えていた屈強な体の警官が3人入って来てデモ騒動の為か巡回してくれました。電車は車窓を見せながらほとんど地上を走って最後の2駅だけ地下に潜り、まるで田園都市線のようでした。7th Street駅で降りて 地上に上がったビルの広場には丸亀製麺やユニクロがあり、ここは日本かと見紛うほどでした。そこからホテルまで歩いて500m位ほとんど人を見かけない路上に座ったり寝そべったりしている人を3人程見かけましたが、彼らは身動きもせず危険は感じませんでした。新宿やホーチミンの方がそういう人は多いと思われます。ホテルに荷物を置いて急いでUber でスタジアムへ向かいましたが、既に14時を過ぎており、スタジアムに向かう丘の下から車が大渋滞していました。ゲートへなかなか近づけず、あちこち誘導された末、ゲートから離れた所で降ろされ、そこから昨日のように足を引きずって必死に歩くしかありませんでした。もちろん汗だく!セキュリティーチェックで、昨日はOKパスされたMLB東京シリーズで買った大谷君の顔がプリントされた記念うちわを「大きい物はダメ!」と没収されてしまいました。危険物や音の出るものではないし、既定サイズの透明バッグに入るサイズだから大きくない!と食い下がりましたが、試合後の返却もそっけなく却下されショック!悲しく悔しい気持ちのまま試合開始ギリギリに着席しました。その日は3塁側ダッグアウト上の2階席で見晴らし良く、真美子夫人がよくデコピンと観戦しているVIP席の真下辺りで、球場全体を見渡せて野球の試合自体を観戦するには最適の席でした。HRは出なかったものの大谷君はヒット3本を打って勝利に貢献し、5-4でドジャースが勝ちました。LAは20時頃まで明るいので、帰りの19時頃は夕焼けの始まりでした。その日は無料のシャトルバスを使おう!と急いで長蛇の列に並びましたが、意外に早くバスに乗れて座れました。しかしそこからバスは大渋滞のスタジアムの外周3/4をずっと沈む夕陽を見ながら40分かけて周り、近くのUnion Stationに向かったのですが、外出禁止令発動の20時に間に合うように!と運転手さんが暴走するので、乗客は大きく体を振り回されながら叫声を挙げながら乗っていました。バスは20時ピッタリ駅に到着、乗客から歓声が上がり、その後バスを降りてUber 乗り場に移動しました。そこで、駅から道1本を隔てて南に位置する連邦政府庁舎のデモ現場から引き揚げてくるプラカードや国旗などを手にしたメキシコ人女性の集団とすれ違いましたが、皆さん静かで穏やかな雰囲気でした。「そういえばここでは大きな騒動があるんだった」とすっかりICE反対デモ騒ぎを忘れていました。昼間の地下鉄の見回りにきた警官以外兵士の姿も見たことがなく、銃声や騒音も一切聞かれず、LAの一体どこが危険なのか?と思いました。そこで「ロバーツ監督が今週中に大谷に(ピッチャーとして)投げさせると言っている」という速報ニュースを耳にし、私は「え~、そんな~それは週末だよね、私がいる明日か明後日に投げてくれればいいけど無理だよね~」と嘆いていました。が、Uberに乗ってホテルに着くと、日本の友人からLINEが入っており「明日大谷君投手で出場ですよ」とあり、驚きの余り大声で周りにいた人達にも知らせると、皆びっくりして狂喜乱舞、ホテルのロビーで飛び跳ねました。私は「きっと昨日のキケの登板を見て、大谷君が『僕が投げます!』とか『僕に投げさせて下さい!』って申し出たんじゃない?見てらなくなったんだと思うよ」と言いました。しかしながら現地は大混雑の中必死にようやくスタジアムから帰って来られたところで、まだ何の情報も入っていないのに、何故遠く離れた日本の方がこちらの情報を速く知っているの?と驚きました。今の情報ネットワークは完全に国境がなく大陸を飛び越えて地球上を網羅しているんだなあ、と実感した次第です。何はともあれ凄いラッキー!強運!私が口にしたことが次々に現実となり、「まるで預言者だね」とまで言われ、自分でも怖くなりました。確かに今年初め練りに練ってこの日程を決めチケットを取ったものの、ここまで大当たりするとは思わず、高額な送迎代・ドジャースタジアムの飲食代・飛行機代は完全に私の頭からぶっ飛んでしまいました。大谷君の2ホームランと二刀流ピッチャー復帰第一戦が観られたら!と。
3日目6月16日は昼12時半から日本語スタジアムツアーを申し込んでいたので、朝ホテルでゆっくりしてからUberでスタジアムへ行きましたが、前もってHPで調べておいた集合場所のライトフィールドロッジゲートへ行っても、全く人の気配がなく、おかしいと思った私はスタッフらしき女性を見つけて聞くと、ここではなくレフトフィールドの方だ、とのことで、スタジアム外周を反時計回りに1/4小走りに歩いて到着したものの、そこにも集合する人だかりはなく、さらに先の作業をしている男性に尋ねると、もっともっと上だ!と言われ、さらに1/4全く日陰のないまだ空っぽの駐車場内を汗だくになってまた歩き始めました。しかしこのまま進んで正しいのか不安になった私達は、逆戻りして出勤してきた日本人女性職員を見つけて尋ねると、担当者に連絡してくれました。暫くして別の日本人女性が来て「集合場所が最近変わったんですよね~、工事が終わってトップデッキに」と言うのには、愕然としてしまいました。そんなこと知る由もなく…。そこからバックネット裏上方のトップデッキ5階までさらにサポーターを撒いた足を引きずりながら上がり、遅れて集合場所の日本人集団に合流しました。結局スタジアムの外周3/4を登りで歩かされたことになり、最初の地点から反対(時計回り)に回った方が近かったのです。歩き過ぎて私の足首は悲鳴を上げていたので、またも車椅子を借りエレベーターを使って回りました。トップデッキから見下ろすまだ誰もいないドジャースタジアムは緑の芝生が美しくカリフォルニアの青い空に映え壮観でした。
歴代の優勝トロフィーやMVPの盾(まだ昨年の大谷選手の物は出来上がっておらず展示されていませんでした)、サイヤング賞、新人賞、ゴールデングラブ賞などが展示されている通路で説明を受けていると、球場入りしてきたT.グラスナウ投手がさっと通ったのです。余りに一瞬のことで私は顔を見られませんでしたが、見た人が「TVで観るよりずっとカッコ良かった」と興奮していました。その後に大谷君が通るんじゃないか!?と皆足を止めがちでしたが、次へと促されてしまいました。VIPルームを見たり、選手たちが実際にプレイする土と芝のグラウンドに出たり、ドジャースの歴史や過去の名選手の話を聞いたりしてツアーは終わりました。ショップで買い物(しかしどれも破格の高値でなかなか手が出ず)をした後、そのままスタジアムに残って大谷君の二刀流復活の投球練習を見ようと思っていたのですが、14時過ぎに一旦スタジアムから締め出されてしまいました。水一滴も飲んでいなかった私達は、チャイナタウンへランチに行くことにしたのですが、また炎天下コンクリートの駐車場を足を引きずりながら横断して下り、一番外側にあるUber 乗り場まで歩かねばならず、広大な駐車場には私たちだけが彷徨っている風でした。そんな私達を横目で見ながら逆向きに次々と丘を登ってゲートから颯爽と入場してくるスポーティーな車列とすれ違いました。ドジャースの選手達の出勤だったのでしょう。対戦相手のパドレスの選手たちを乗せた(と思われる)大型バスともすれ違い、見えないダルビッシュ有・松井裕樹両投手に向けて手を振りました。青いポルシェはロバーツ監督だったかも?大谷君の車は分かりませんでしたが、後でその頃スタジアム入りしたと聞いたので、もしかしたらすれ違っていたのかも知れません。チャイナタウンの中華レストランは、ジャッキー・チェンの映画の撮影現場に使われたというとても美味しい店でした。生き返った気分になり、その日はドジャースでのピッチャー大谷初登板のため30分早く開場するとのことで、急いでまたUberでスタジアムへ戻りました。ゲート前からすでに入場を待つ人の列ができており、最後尾に付くと前の日本人男性二人は同じ神奈川県・横浜市の人でした。同じく大の大谷ファンで、「今日先着4万人にもらえるブレイク・スネルのボブルヘッド人形、今日は大谷の二刀流復活デーなんだから大谷のボブルヘッドにすれば良かったのに」などと話が弾みました。
16時40分一斉にゲートが開き、スネルのボブルヘッドを手渡されてブルペンへ直行しましたが、セキュリティーの規制線が張られてなかなか大谷君は出て来ず、諦めて一旦席に着きました。対戦チームのライバル・パドレスの野手陣がホームベース周りでバッティング練習を、ライトの外野でダルビッシュ有・松井祐樹投手(我が地元あざみ野の山内小学校出身)など投手陣がウォーミングアップやチャッチボールを始めたので間近へ見に行きました。試合開始約30分前レフト方面からワ~と歓声が沸き、大谷投手がブルペンに現れ投球練習を開始したことが分かりました。がすでに凄い人だかりが出来ており、またこの足を引きずってブルペンまで見に行くことは難しいと断念しました。そのあと大谷選手は綺麗に整備されたレフトの外野で投球練習を始め、スタジアム中の人の視線がレフト方向へ向かいました。私は⦅打者の時は試合前あまりグランドに出て来ない大谷君が、投手の時は外に出て姿を見せるんだ!⦆と嬉しく思い、やや遠目ながらその姿を目に焼き付けることしました。真っ白なユニフォームにドジャーブルーの帽子を被った生の大谷投手は緑の芝生に映えてキラキラして見え、何か懐かしい気がしました。日ハム時代やエンゼルスでのピッチャー姿を見ているはずなのに、昨年の50-50の大活躍のせいか《打者大谷》のイメージで強く固まり過ぎて、ピッチャー大谷の姿をすっかり忘れてしまったのは私だけでしょうか?(大谷選手自身、5月末に初めてライブBPをした後「久しぶりにピッチャーやっていたことを思い出しました」と言っていました)ウォーミングアップを終えて一旦下がり、再びダッグアウトから出て来て悠々と歩きながらマウンドに上がってくる大谷投手に観客全員の視線が集中し、昼間なのにスポットライトが大谷投手に当たっているようで、まさにユニコーンが舞い降りたかのようでした。これから展開される663日ぶりのピッチャー大谷、しかもドジャースの一員として初めてドジャスタジアムで青いユニフォームを着て投げる姿に神々しささえ感じながら、未知のストーリーへの期待とシビレ、わくわく感と不安感が混じる興奮が高まった地鳴りのような歓声がスタジアム中に沸き上がって、いよいよ試合開始。望遠鏡で大谷投手の表情を見ると、打者大谷とは全く違う今まで見たことがない、鋭い視線で口を真一文字に結び、アドレナリン最高調の闘争心に溢れ鬼気迫る戦う男の形相でした。真の戦争現場では男性はこんな表情をしているのだろうか、と私は鳥肌が立ち、思わず双眼鏡をそらしました。エンゼルスの赤いユニフォームを着た投手大谷は戦いながらもどこか愛らしく(母性本能がくすぐられていたのか)感じましたが、青いドジャースのユニフォーム姿の投手大谷は畏怖堂々として、まだドジャース2年目ながらチームを引っ張っている“大黒柱の男”に見えました。結婚してパパになって守るものができたせいでしょうか、体格面だけでなく精神面も成人男性として大きく成長したように感じました(精神科医としての視診)。
パドレスの先頭打者はF.タティースJr.、第一球から皆スマホを構えて総立ち、初球から157.7㎞/hの速球、以後も99マイル100マイルと続いてスタジアムも静かに騒めき、「今日復帰初日でしょ?いきなり160キロ?」と我が眼を疑いました。しかしながら見ていて160㎞/hならキャッチャーミットにパーンと甲高い音がして納まり剛速球!と一発で分かるのですが、大谷投手の球は「あれで160㎞/h?」と疑うほど静かにすーっとキャッチャーのグラブに納まり、強いというより長い手足のしなやかなフォームから一気に繰り出されるしなやかで伸びのあるボールなのです。皆張り詰めた空気の中一球一球食い入るように見つめ、ストライクの度に大歓声が起こりました。6球目打ち取った当たりがセンター前にポテンヒットとなり、次打者アラエズには161.2km/hの最速を記録、ちょっと力んだのかワイルドピッチで2塁に進塁された後ヒットを打たれ無死1.3塁のピンチ、次のマチャードに対する4球目のスライダーは振っていないとの塁審判定でボールになりましたが、明らかにマチャードのバットは前方に出ていたので、怒りの大ブーイングが起こりました。本来なら三振でその後点が入ることはなかったでしょうが(そのことについて3回裏に大谷君が3塁に進んだ時マチャードと笑って話しているのを目にしました)、マチャードは6球目のスライダーを何とかバットの先っぽに当ててふらふら上がった外野フライでタッチ差で1点先制されてしまいました。スタジアムは「あ~」「え~っ?」という何ともいえない嘆息に包まれましたが、その後の二人は内野ゴロに仕留めて3アウト、全28球の一球一球固唾を飲んで見入ったどこかキラキラした1イニングが終わりました。拍手喝采で迎えられながら重そうな足取りでゆっくりマウンドを下りて3塁側ベンチ横(私の席のすぐ前)に引き上げてくる大谷投手は、まずはホッとしたようでしたが、高揚したままの顔から汗が滴り落ち、全身全霊を注ぎ込んだことが見て取れました。そのまま休む間もなくベンチには入らず、ベンチ横の土の上で立ったまま1回裏の1番バッターとしての準備、プロテクターを脛や肘に付けたり手袋をはめたり入れたり、汗を拭き拭き大忙しでした。思わず「忙しいねえ~、大変だね~」と声が出てしまいましたが、大谷君は一度も素振りをせず急いでいつものルーチン動作後バッターボックスに入るのでした。「1回ぐらい素振りしたら?」と呟いたのですが、さすがに先頭打者ホームランは出ず三振となり、5万人を超すスタジアムの高揚した空気は一気にトーンダウン、試合開始からの大谷劇場は一旦終わり、休憩しようと皆腰を下ろし飲み物を口にするのでした。まだ1回の裏は終わっていないのに、次打者のベッツが可哀そうな位でした。結局大谷投手として2回表のマウンドには上がらず、1回28球だけで終わってしまい、「残念!もう少し長くピッチャー大谷を観たかったのに~!まだまだ行けそうだよ」と叫んでいました。その後打者としては3回裏2アウトランナー3塁で第2打席が回ってきた大谷君は、左中間へタイムリー2ベースヒットを打って自分が取られた1点を自分で取り返し、4回裏にも2アウト1・2塁でライト前へタイムリーヒットを打って2打点目を挙げ、ドジャースの勝利(6対3)に貢献しました。投打に活躍し見事にドジャースの選手として二刀流復活を果たした大谷選手のヒーローインタビューを、前方のフェンスまで行ってビデオに撮りました。大谷君自身「今日のピッチャーは打者より緊張していました」と言っていました。帰りは個人ドライバーをチャーターしていたので(外出禁止令も22時まで延長され)、急がずゆっくり席に戻ると、ドライバーさんも大谷投手復帰戦を観戦して既に席に迎えに来ていました。駐車場外に止めてある車まで歩いて移動し30分位でホテルへ送ってもらい、夢のような一日が終わりました。
翌6月17日朝LAのテレビでも、「ドジャース大谷剛腕投手で二刀流復活」のニュースで持ち切りでした。最終日は私一人になるため、心配した娘が個人ガイドを探してくれて、スタジアムへ行くまで車で半日LA観光することにしました。ガイドさんは元教師だった博学な70代の日本人男性で、とても親切丁寧で穏やかな方でした。ハリウッドからグリフィス天文台、メモリアル・コロシアム、カリフォルニア・サイエンスセンター、ルーカス・ミュージアムなどを安全運転で回って下さいました。昼は、大谷君が大好きだというIN-N-OUT BURGER(ハリウッド店)へ行ってみましたが、店内は日本人だらけで、ドジャースのユニフォームや帽子も多く見受けられました。大谷様様ですね。移動中、13時頃外出禁止令が解除されたとのニュースが入り、リトルトーキョーへ行ってみようと言われ、大谷君の壁画がある都ホテルの交差点へ行くと、周りの店は閉まって人も車もまばらでしたが、デモや暴動があった痕跡はなく、静かで綺麗で平穏な街角でした。歩道のブロックにあるQRコードを読み取って大谷君の壁画にかざすと、確かに打者大谷がバットを振り、ピッチャー大谷が投げる動画になりました。
その後ICE反対の抗議デモと警察や兵との衝突現場となった連邦政府庁舎の前を車で通り過ぎましたが、10名くらいのプラカードを持った女性達と数名の警察官が立っているだけで、声や音など何の騒ぎもなく、車が走るだけの幅広い普段の道路に戻っていました。連日のドジャースタジアムの大谷フィーバーに酔いしれて、日本を出る前のデモ騒動への不安はすっかりどこかへ行ってしまっていました。一体あれは何だったんだろう?とマスコミ報道を訝しく思いました。たとえていうと、たまプラーザ駅前でデモ暴動が起こっている為、たまプラーザ南口には近寄らないように!そして青葉区に夜間外出禁止令が出たため、あざみ野に取っていたホテルを青葉台に変えた、しかし新横浜の日産スタジアムでは連日熱い戦いが繰り広げられている、といった具合なのです。たまプラーザ駅前でデモ騒ぎが起きていても、青葉台は何ともないでしょう。それを神奈川県全部が戦場と化しているような報道が全世界に流されるのはどう考えてもおかしいでしょう。ロサンゼルスといってもカリフォルニア州ロサンゼルス郡ロサンゼルス市であって、LA郡には他にはサンタモモニカ市やトーランス市、ロングビーチ市、パサデナ市など88もの都市があるのです。A.シュワルツネッガー元カリフォルニア知事が「LA全体が戦場になっているかのように報道されているが、抗議活動はLAの面積のわずか0.001%程度だ」と、ニュース報道が誇張し過ぎていると異議を唱えていた通り、LAのほんの一部でデモ騒動が起きていただけなのです。そもそもデモというのは、ある思想・主張を持った人々が集団で他に示す行為であって、暴動ではありません。が今回一部が暴徒化したため軍まで派遣するに至ったのは、トランプ大統領が自身の移民政策を進めるため、過激行為をする分子を紛れさせて、「ほら、このように移民は乱暴者だから排除しなければいけない!」と国民に共感させようと、民主党の牙城であるカリフォルニア州LAをターゲットにして既成事実を仕掛けたように思えてなりません。とにかくドジャースタジアムにはLAの移民族構成を象徴するように様々な人種が集います。アメリカ人―といってもネイティブ以外は白人も黒人も皆何代か前は地球上のどこかからの移民の子孫のはず―、メキシコ人、南米人、日本韓国を含むアジア人など、皆ドジャース(対戦チームも)・野球が好き!ということで集まってくる善良な人々なのです。自分と反対意見を平和裏に主張する国民・市民に、市民を守るべき警察や国外の敵と戦う軍・兵を差し向けて武力で鎮圧しようする首長が自由の国アメリカの大統領でしょうか?その内ドジャースの選手もドジャースタジアムに入れる観客も、全てアメリカ人のみ!とされる時が来るのではないか…、との不安がよぎりました。6月17日は、プロモーションとして優勝トロフィーのレプリカが先着4万名の観客に配られるということで、確実にゲットするために16時からのプレゲームツアーに申し込んでいました。ガイドさんにスタジアムまで送ってもらいましたが、またしてもゲート前から車の渋滞が始まっており、車が車列に挟まって身動きできなくなったので、かなり遠くで降りてお別れしました。無事レプリカトロフィーをゲットして入場するも、なぜかその日はツアー客がいっぱいで、終盤のグループに入れられ、既に車椅子は全て貸し出されていました。仕方なく自力歩行で進みましたが、既に同じツアーを体験していたので、足の限界を予想して途中隊列から離脱して、大谷・山本両選手とバーチャル撮影してもらえるコーナーへ向かいました。しかし聞いていたライト外野席下を探すも一向にそのような所は見当たらず、球場スタッフに尋ねて「あっちだ」「こっちだ」と振り回された挙句、センターのレフト寄り席下に150人を超す長蛇の列ができていました。前の人に確認して並び30分程待ちましたが、列は一向に進まず、「このままではゲームが始まってしまう!」と判断し、バーチャルビデオ撮影よりリアルゲーム観戦の方を選択して列から抜けました。すると反対側にも200名ほど並んでいるのでした。試合開始前に最後のグッズとお土産を買いにショップへ向かいましたが、そこも入場するために長蛇の列ができていました。ようやく入って前日昼間に目を付けていたTシャツを探しましたが、すでに売り切れており、仕方がなく急いで別のTシャツとボールやマグカップなどを買いました。しかしやはりどれもびっくりするほど高額で、多くは手が出ませんでした。一体ドジャースは毎日いくら儲けているんでしょう!?
最終目は、3日目よりもっと内側の1階席で、丁度ホームベースと1塁ベースを結ぶ延長線上でしたが、前の席の男性が大きくて見にくく、さらに時折頭の上で両腕を組むため、ピッチャーとバッターが男性の腕の隙間から分断されてしか見えず、観戦には苦しい席でした。3日目の席が最高でした!大谷君も前日のピッチャー復活で全エネルギーを出し切ってburn outしてしまったのか、緊張から解放されたせいなのか、4三振1四球と不発に終わり、8-6で勝利したものあまり印象に残りませんでした。エンゼルス時代はピッチャーで登板した翌日はよくHRを打ったのですが、何が変わったのでしょうか。
帰りは一人なので、再び旅行社の高額な送迎車で素早くホテルへ帰ると、後から到着した大型バスからドジャース観戦後の日本人団体客と共に杉谷拳士さんが降りてきて談笑されていました。昼間杉谷さんのインスタで「大谷選手二刀流復活戦を観戦でき、“もってる男”と言われている」とドジャースタジアムのトップデッキで笑っている画像を見ていたので、「へぇ~、杉谷さんも来ていたんだ」と思っていたところ、同じホテルだったとは!「見ましたよ~」と声掛けると、「どうも、ありがとう」と気さくに返事して下さいました。昨日の試合を観られた人は皆「もってる男/女」なんだよね~、と急遽の大谷投手登板により予期せぬ夢のような奇跡の体験をした幸せにいつまでも浸っていました。
遂に4日間夢の中にいたようなドジャース観戦が終わってしまい、帰国の途に着きました。5日間全く雨は降らずカラッとした快晴が続き、いつの間にか日本を発つ時不調だった鼻と喉は良くなっていました。左足首は地獄の行軍リハビリのせいか、来た時より軽快しており、帰りのLA空港での車椅子は不要かと思われましたが、是非にと勧められて使わせてもらうと、とても楽で痛みも消えていました。6月19日夕刻羽田空港に到着すると、忘れていましたが日本は梅雨でした。帰国した翌日、日本ドジャースファンクラブから3月に告知されていた入会時プレゼントの≪大谷翔平ボブルヘッド・ストールンタイプ(盗塁姿)≫がようやく届きました。因みに現地のドジャースショップでは打者大谷のボブルヘッドが1万8円で売られていまいた。家に帰って来て、録画しておいた4戦全部約12時間分(6/16は急遽二刀流復帰となったため、放送も急遽NHK-BSからNHK総合に変更となり焦りましたが、私の足を心配して6/15にベトナムから帰国していた娘が予約録画を変更してくれたので録画できました)を見直したところ、3日目の大谷二刀流復活登板日のテレビ画面に何か所も観客席の自分が映っていました。自分でないと見つけられないような“ウォーリーを探せ”を長時間も続けた結果見つけたのです。
その後も投手大谷は日増しに調子を上げ、エンゼルス時代よりパワーアップし内容もクレバーになっている印象です。私が観戦した二刀流復活初日より慣れてリラックスし、益々剛速球や精度の上がった変化球各種を投げられており、もうすっかり先発ピッチャーとして登板可能でしょう!ピッチャーとしても超一流であり、打者(ナ・リーグのホームラン1位)・走者と合わせてまさに唯一無二のユニコーンといえるでしょう! 一体、大谷君のあの多くの人を惹きつける力はどこから来るのでしょうか?野球の能力はもちろん、人柄、笑顔、努力、「終わったことは良かったことも悪かったことも忘れる!次へ進むのみ」と聞いたことがありますが、「良かったことも忘れる」なんて常人にはできないことで、その稀有な思考過程のなせる業なのでしょうか。6/16マウンド上の大谷翔平選手と5万を超す観客との間(あいだ)の空気、それは両者が共鳴し一体化した良い意味で異様な盛り上がりの空気感で、スタジアムから青空に向かって立ち上がっていくようでした。
今回は今までの旅行にない貴重な体験をスポーツ通じて見たり感じたりした感動的なロサンゼルス・ドジャース観戦旅行となりました。そして帰ってきてすぐまた“ポストシーズンを観に行きたい!”と思ってしまうのでした。
(2025.7.17.)








































長らく文章が書けなくていた。
昨年は身近な親しい人達3人と1匹がこの世から姿を消してしまい、年賀状も初詣もないただ時と日が続いて流れる静かな正月を過ごした。最近、対の鏡の一つが無く、反射が返ってきていないこと、片方の鏡も鏡の用を成さなくなってただの板のようであることに気付いた。対の鏡が冷静に自分の死と向かい合っていたため、直後こちらの鏡も冷静にならざるを得なかったんだとも。

























